日本人男性と福音


 おおかたの男性なら、イエス・キリストという名前や言葉は知っていることでしょう。

 しかし、イエス・キリストは、何者なのか、

 誰なのかは知らないでしょう。

 さらに、何をした人物なのかまで知っている男性となれば、

 ごくごくまれで、珍しいことなのです。

 イエス・キリストを通してあらわされる神について、

 この世界を創造された創造主なる神について知っている男性となると、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事を通して、

 イエス・キリストの死と葬りと、三日の後に死人のうちから復活したという出来事を通して、

 つまり神の啓示を通して、

 全知全能なる神の存在を受け入れることのできる男性となれば、

 ごくごくまれなのです。

 日本の多くの男性は、

 全知全能なる神の存在を受け入れることができないでいます。

 信仰を持つことについては、

 反対する男性は多くはなく、

 信仰にたいして寛容すらあるのですが、

 いざ、自分の立場や地位、生き方に、

 自分の生き様に影響を及ぼそうものなら、

 それは問題外なのです。

 また、

 イエス・キリストの十字架の出来事を通してあらわされる、

 この世界を創造された神を、

 その神を信仰する信仰については、

 唯一の神を神として受け入れ、信仰することについては、

 受け入れることなどできないのです。

 聖書・バイブルを読んだうえで、

 受け入れを拒絶しているわけではありません。

 日本の男性の多くは、科学を信じており、

 進化論を信じており、

 バイブル・聖書が示しているところの、

 すべての人間が神によって創造されたなどということは、

 また、人間は、目的を持って神によって創造されたなどということは、

 受け入れがたいことがらなのです。

 日本の多くの男性は、

 バイブル・聖書も、神も、

 否定的なのです。

 しかし、論理的な合理性は持ちあわせてはいます。

 ですから、キリストの福音に接することさえできれば、

 雰囲気やムードではなく、

 論理的な聖書の解釈がなされるならば、

 状況は変わってくるはずです。

 日本の多くの男性は、

 福音を耳にしたことも、

 福音に接したことも、

 まず、その機会は少なく、

 キリストの福音から遠いところに置かれているのが現実なのですから。


 「 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。

 聞いたことのない方を、どうして信じられよう。

 また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章14節・新共同訳聖書)


 そうなのです、日本の多くの男性は、

 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の内容と意味との解き明かしの場に、

 その場に身を置いたことがないか、

 それとも、解き明かされていないか・・・・。

 そのどちらかなのです。

 決して聞く耳を持ちあわせていないのではありません。

 聞いたことのない方を、どうして信じられましょう。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on 12 September 2011.