ヒーリングと癒しの違い



最近よく耳にする、ヒーリングとか癒しとか、流行りでしょうか。

一般社会がよく使うところの ”癒し”という言い方と、
聖書・バイブルが語る”癒し”とでは、かなりのへだたりがあるようです。

「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。
わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」

(新約聖書・ペテロの第1の手紙・2章24節・新共同訳聖書)

聖書・バイブルは、偽りがなく、罪を犯したことのない、
罪を認めないイエス・キリストが私たちの代わりとなって、
十字架に死んでくださったことによって、
”私たちは癒された”と語っています。

イエス・キリストの十字架の出来事は、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事です。
創造主なる神の究極の決断と態度の決定という出来事です。
神の啓示の出来事、福音のメッセージです。

この出来事は、すべての人たちを対象とした、
罪には死んで、罪からは離れて、神の義によって生きるために。
それが癒しそのものだと語っているのです。

さて、流行りのヒーリングでは、
人は、人が内に持っているエネルギーや、
パワースポットなどの霊的な、
自然界のエネルギーに触れることによって癒されるのだと・・・。
スピリチュアルやファンタジーもヒーリングにとって重要な要素かもしれません。

避けることのできない星座や星の動きという、
自然の力が大きな意味を持つとも考えます。
人は、自然界の秘められた霊的な力に頼らなければ癒されないのです。

いやしやヒーリングの源泉は自己の内面にあるとされます。
自分自身に信頼し、自分の可能性を活かすことによって、
自分自身の中に意味や力を求めることによって癒されるのだと。
自己実現が癒しそのものなのかもしれません。

苦しみや病気などは自然と逆らうことによって生れてくるというわけですから、
自らの内にあるものを、自然や宇宙などのエネルギーに同調させて、
内なるエネルギーを目覚めさることによって、
落ち込んでいたものに刺激を与え再び活発にさせるのです。
それが癒しなので。

言いかえれば、現代のヒーリングや癒しは、
生きて働いておられる人格的な神を認めない、
創造主なる神との関係における癒しを認めない、
自然界の秘められた霊的なエネルギーを信じるということでしょうか。
自分自身に問わず疑わないという側面も含んでいます。

聖書・バイブルは、決して自分の力では癒しを手に入れることは出来ないと語っています。
イエス・キリストの十字架の出来事を自分のこととして受け入れることによってのみ癒されるのだと。
生まれながらに負っている罪深さから解放されないかぎり癒されないのです。

現代のヒーリングは、
キリスト教の神の啓示と対立するものと言えます。


北白川 スー

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Wrote up on March 27, 2014.