福音と人間の本性


 ・・人間の本当の姿を明らかにするキリストの福音・・

 イエス・キリストが十字架のかけられ、

 死してすべての人の罪を贖った(あがなった)という出来事は、

 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事は、

 すなわち福音は、

 迷いの中にあり、ほろびへとひた走っている人間の姿を浮き彫りにします。

 私たち人間の本当の姿を浮き立たせるのです。

 福音が経済的な豊かさをもたらすものでもなく、

 健康を約束するものでもなく、

 人と人との人間関係を回復させるものでもない。


 イエス・キリストは言う・・・。

 「・・自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、

 わたしにふさわしくない。

 自分の命を得ようとする者は、それを失い、

 わたしのために命を失う者は、

 かえってそれを得るのである。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・10章38〜39節・新共同訳聖書)


 福音は、人間の本性的な姿を明らかにするため、

 ときとして、人間関係を気まずいものにすることもある。

 人間の本当の姿、

 生まれながらに負っている性質を明らかにするのです。

 だから、人は、へりくだることも、

 謙虚に、高ぶらず、自分を低くすることもできるのです。

 福音は、ありのままの自分に気づかせるのです。


 「人の心は何にもまして、

 とらえ難く病んでいる。

 誰がそれを知りえようか。」

 (旧約聖書・エレミヤ書・17章9節・新共同訳聖書)


 しかし多くの人は、そうとは思えないでいる。

 いや拒絶さえ覚えている。

 自分の本当の姿など見たくはないのだから。


北白川 スー

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Wrote up on 08 February 2011.