神こそが知っている本当の救い



キリスト教の教会でよく聞かれる ”救い ”という言葉があります。
「あなたは、救われました・・・。」
では、ここで言われている ”救い ”とは、何を意味しているのでしょうか。
社会生活の中で、何らかの苦境や困難に立たされたとき、
負債や貧困や病気や家庭の不和からの解放されることを言うのでしょうか。
災害や事故から救いだされることでしょうか。
危険や困難から助け出されることを言うのでしょうか。
国家や社会や企業や家庭などが苦境におちいったとき、
そこから抜け出したことを言うのでしょうか。
もしくは、
自分の望みや願いなどが、自分の思う通りにならないとき、
それが実現することを言うのでしょうか。
人は、だれでも幸せを願っています。
いつも健康でありたい。
明日に不安を覚えるのではなく、いつも平安でいたい。
金銭的に不自由したくない・・・・などなど。
それらが ”救い ”の意味するところなのでしょうか。
聖書・バイブルは次のように記述しています。

「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)

聖書が言うところの救いとは、
神の裁きからの救いであると語っているのです。
この世界が救われなければならない状態にあると同時に救いの対象であることを示しているのです。
すべての人が逃げることも救われることもできない状態にあると語っているのです。
そうでなければ、
神のひとり子イエスがキリストとして救い主として、この世界に生まれ来る必要などないのです。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は意味を失ってしまいます。
聖書が言うところの救いとは、
この世界を、苦境の中にすっかり沈み込んでいる状態から救いだされることを言っているのです。
言いかえれば、
だれひとりの例外もなく、すべての人が罪の中にあること、
罪深さの中にあることを言っているのです。
私は罪など犯してはいませんと言うならば、
神による救いというものは意味を失ってしまいます。
自分の生き方で、自分のやり方や考え方で物事を見ることが最も正しいと思っているなら、
イエスの十字架の出来事は意味を失います。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on November 17, 2012.