自分は何のために生きているのだろうか



仕事に悩んだり、人間関係に悩んだり、恋愛に結婚に悩んだり、勉強に悩んだり、
夫のことに子供のことに・・・。
うまく行かない、どうしょう。
自分の思うとおりに行かない・・・・。
どうすればいいのだろうか、分からない、不安でいっぱいだ。
何をやっていいのか分からない。
次の目標が浮かんで来ない。
先が見えない。
何をやってもおもしろくない・・・・。

職場の人間関係について行けない、今の仕事をやめて、別のところに転職しょうか。
商売がうまくいかない、取引先を変えようか、それとも商売を変えようか。
彼って浮気性みたい、このまま結婚していいのだろうか、別れたほうがよさそうだ。
授業についていけない、どうしょう。
大学に入ったものの、どうも自分とは合わないようだ、やめようか。
漠然とした未来なんて、たえられない。
息子は仕事にもつかずブラブラしている、夫の会社はヤバそうだ・・・・。
やめよう切りがない。

人はさまざまにな状況の中に生きています。
100人いれば100の悩みがあるだろう、多くの人は、それぞれ、さまざまに悩みを持っている。
そして、自分は何をなすべか、自分の取るべき行動は何だろうかと真剣に考えている。
次なる行動の選択肢を真剣に探っているのだ。

でも、何かを忘れてはいないだろうか。
わたしたちは、困難な状況に中に置かれたとき、
次は何をなすべきかということばかりに気を取られてはいないだろうか。

立ち止まって足元を見直すことをしていますか。

時間に追われ、暮らしに追われ、状況に追われて、立ち止まることすら忘れているのではありませんか。
今がチャンスです、バタハダしないで、いまこそ歩みを止めて、静かに足元を見直してみましょう。
困難な時ほど、自分を冷静に観察することが最も大切なことです。
それはなかなか難しく手ごわく、それに気づくのもたやすいことではないでしょう。
立ち止まるのは不安なことでしょう、でも、
何をなすべきかと苦しみもがくことを一時やめて、
人間として最も基礎にある、人間の存在というものについて考えてみてください。
自分は、どこにいるのか。
人間が生きているということ。
存在の理由というものを考えてみてください。
人間が生きていく上で最も大切なこと、
あなたの存在の理由を考えてみてください。
生きていることの理由です。
あなたは「何者ですか」。
何のために生きているのですか。
何のために存在しているのですか。
何のために生かされているのですか。
人生の目的とはいったいなんでしょうか。

ここで、新約聖書を開いて、パウロの言葉から聞いてみましよう。
「私は植え、アポロは水をやりました。しかし、成長させてくださったのは神です。」
「植える者も水をやる者も取るに足らず、成長させる神こそ大切な方なのです。」
「あなたがたは神がたがやす畑、神が築く家です。」

 (新約聖書・コリント人への第1の手紙3章6〜9節・フランシスコ会訳)

あなたの人生を動かしている、あなたとは別な存在があるとしたら。
何をなすべきかではなく、自分は何者なのかということなのです。
キリスト教的な見方は、大切なのは、
人生というものはあなたの中心にはなく、
あなたの人生を動かしているのは、天地万物を造られた唯一の「神」であるということです。

・・・たわごとを言わないでくれ、自分の人生は自分で切り開いていくものなのだ。
自分の力を信じること、それが自分を支えているのだ・・・。

では、自分の力を信じられなくなったとき、あなたは、どうしますか。
あなたはどこに立っていますか。
あなたの人生の土台はどこにありますか。
挫折を味わったとき、ころがるところまでころがったことに気づかされたことによって、
人間というものは絶対的な存在との関わりによって生きているというこを思い知らされるのです。
それが、自分との関わりにおいて神という存在、絶対的な存在を発見した人たちの共通した感想なのです。
いや、それすら気づかない場合だってありうる。
自分を支える存在があるとなしでは、すべてが異なる。

実際は、自分を支える存在というべきものへの視線というものが欠けているため、
何をするべきかを、すでに示されているにもかかわらず、それをやらない、やろうともしない。
何をしなければならないかも気づきもしないのです。
ころがる前に・・・・気がついたほうがいいのに決まっている。
「転ばぬ先の杖」とよく言うではないか。


北白川 スー

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