イエス・キリストが誰なのか何も知らない


 イエス・キリストが誰なのか、何をした人なのか、

 まったく何も知らないのに ” 信じなさい” と言われても無理な話しです。

 知らされていないのにどうして信じることができるでしょうか。

 2000年もの昔、イスラエルのエルサレムで、

 罪のないイエスを十字架にはりつけ、罪人として死刑にしたこと、

 そして葬られ、三日の後に死人から復活して、

 弟子たちの前に現われたという出来事を・・・・・・、

 その意味と内容について私たちは何も知らない・・・・・。

 特に、こと日本人の特徴では、なにごとも

 自分の目で、自分の耳で、自分の手で、

 自分の感覚で確かめなくては信じられないのです。

 見ていないに、聞いていないのに信じることなどできません。

 でも、何らかの精神性を求めることはします。

 それで自分の心が少しでも満たされれば・・・。

 ですからイエス・キリストを知らなくても信仰は持てるのです。

 それが、まことのキリスト教信仰でなくても。

 イエスは確かに言われた。


 「あなたはわたしを見たので信じたのか。

 見ないで信ずる者は、さいわいである。」

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・20章29節・口語訳聖書)


 しかし、パウロは言っている。

 「しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。

 聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。

 宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。」


 (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・10章14節・口語訳聖書)

 しかし、信じない人なら、どうしてそのお方を呼び求めるだろうか。

 また、そのお方のことについて聞いたことがないのなら、

 どうして信じることができるだろうか。

 そうなのである、日本でのキリスト教宣教の歴史は、

 実に150年だと言われている。

 それなのに私たちはイエス・キリストが誰なのか何も知らないのです。


北白川 スー

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Wrote up: 19 April 2009.