イエスの来臨と、日本の現状



キリスト教の信仰において、もっとも大きな意味を持つもの・・・。
それは、来るべき日に、
イエス・キリストが再び来られることを待ち望む信仰です・・・。
その日は、救いの日、私たちの体が贖われる日(あがなわれるひ)なのです。

「 被造物だけでなく、
“ 霊 ”の初穂をいただいているわたしたちも、
神の子とされること、
つまり、体の贖われることを、
心の中でうめきながら待ち望んでいます。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・8章23節・新共同訳聖書)

「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、
人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
これらの事が起りはじめたら、
身を起し頭をもたげなさい。
あなたがたの救が近づいているのだから」。

 (新約聖書・ルカによる福音書・21章27〜28節・口語訳聖書)

”神への罪 ”の中をさ迷い歩いているすべての人間の救いのために・・・。
神のひとり子イエスが、
メシア・救い主・キリストとしてこの世界に生まれ来られて・・・・、
聖書が示しているように、
私たちの罪のために、
私たちに代わって、
十字架にかけられ死刑となり、
死をもって私たちの罪を贖って(あがなって)くださり・・・・、
そして葬られ、
聖書に従って三日の後に死人の内から復活され、
多くの人たちの前にあらわれ、
その後、天の父のもとに戻られた・・・・。

「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。
あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、
天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、
またおいでになる。」

 (新約聖書・使途言行録・1章11節・新共同訳聖書)

そのキリスト・イエスが再びこの世界に来られるとき・・・。
来臨とも再臨とも言われるとき・・・。
しかし、イエス・キリストの十字架の死と葬りと復活という出来事を、
すべての人たちに証しされない限り、
イエスの来臨は来ないと聖書は語っています。

「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、
全世界に宣べ伝えられる。
それから、終わりが来る。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・24章14節・新共同訳聖書)

すべての人たちに神の啓示が語り伝えられるまでば再臨はないのです。
その日まで、救いも、贖いも来ないのです。
どうでしょう、この日本では、
クリスチャンと言えば、ごくごく少数派です。
いまだに人口比にして1パーセント未満に甘んじているのです。
キリストの福音が日本の隅々まで語り伝えられたとは言い難い状態にあります。
この日本の現状からしてキリストの再臨は遠いと言っていいでしょう。
救いも贖いも遠いのです。
キリスト・イエスの再臨を待ち望むなら・・・。
この日本において、キリストの福音を、
イエス・キリストの十字架の出来事を、
語り広めることを急がなければなれません。

「しかし、わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、
わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、
わたしたちの卑しい体を、
御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」

 (新約聖書・フィリピの信徒への手紙・3章20〜21節・新共同訳聖書)

しかしながら日本のキリスト教は、クリスチャンは、
まだまだその域に達していないのが現実かもしれません。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on December 08, 2012.