危機感の無さが福音の広がりを妨げている



クリスチャンが増えるということは、
日本において、広く福音が理解され受け入れられことを意味しています。
しかし、現実はそうではありません。
依然としてクリスチャンは少数派に甘んじています。

少数派であることに危機感を持つのではなく・・・。
聖書・バイブルは、人間が危機感を持つことを求めているのです。

「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、
神の怒りが天から啓示されているからです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章18節・新改訳聖書)

日本のクリスチャンは、
危機感を持っていないと言っていいでしょう。

何にたいする危機感なのでしょうか。
神の怒りの裁きにたいしての危機感なのです。
危機感を持っていれば、
さまざまな日々の営みは、根本的に変わって来ます。

「なぜなら、わたしたちは皆、
キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならないからです。」

(新約聖書・コリントの信徒への第二の手紙・5章10節・新共同訳聖書)

その報いを、十字架の死によって、
私たちに代わって受けて下さったのがキリスト・イエスです。
そのキリスト・イエスの十字架による贖いのわざを信じる信仰によって、
私たちは、神の怒りの裁きから救われているのです。

しかし私たちは、この世に生があるかぎり、
迷いの中を歩んでいることには変わりがありませんから、
常に、キリスト・イエスに聞き従う信仰が求められているわけです。
つまり、危機感を持って・・・。

しかし多くの日本人は、未来は明るいと信じています。
楽天的と言っていいほど信じています。
現実を無視して・・・。

問題なのは、
救われるために、何をしなければならないのか・・・。


北白川 スー

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Wrote up on December 23, 2014.