なぜに、イエス・キリストは十字架に死なれたのか
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罪とか、罪の赦しとか、救いとか、救い主とか・・・・。
キリスト教の信仰において欠くことのできないテーマを明らかにする出来事・・・を。
すなわち、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事・・・を。
日本のキリスト教の教会ほどイエス・キリストの十字架の出来事を解き明かさない教会は他に例を見ないかもしれません。
日本の教会では、イエス・キリストの十字架の出来事をわかりやすく説かれる時間の少ないこと、それが特徴なのです。
言い方を変えれば、日本の教会が、その役目を果たしていない現実と言っていいかもしれないのです。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事は、
まぎれもなく、神みずからによる、
熱烈かつ強烈な愛情表現こそが、
イエス・キリストの十字架の死による贖罪の出来事なのです。
この十字架の出来事こそが、
人間社会の中に教会を建てあげ、位置づけた原因であり、
クリスチャンそのものの存在理由を決定づけるものなのです。
神の啓示に基づいた教会と信仰ということになります。
教会は、”主イエス ”のために、
あらゆる機会をとらえて、
あらゆるキリストの証言をするところなのです。
しかし日本の教会はどうでしょうか。
主イエスのために役目を果たしているでしょうか。
どれだけ日本のクリスチャンは理解しているでしょうか。
罪について、罪の赦しについて、
神の裁きからの救いについて・・・を。
そして、救い主キリスト・イエスについて・・・・。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、
自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われたのです。」
(新約聖書・ピリピの信徒への手紙・2章6〜8節・新改訳聖書)
北白川 スー
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on January 25, 2013.