福音とは何・・常に問い続けなければならないテーマ
-
-
キリスト教の信仰を持つということは、
信仰者の生きる過程と共にあるものであって、
決して信仰そのものが独立したものではない。
日常そのものなのです。
正しいと信じて実行しているものを表します。
しかし、信仰すること自体が目的となるものではなく、
何らかの理由で選び取られたものなのです。
人間を触発させ信仰者にさせた理由がそこにあります。
しかし、それが福音ではない場合だってあります。
では、福音とは何んでしょうか・・・・。
信仰生活において、
常に問い続けなければならないテーマではないでしょうか。
日本のクリスチャンに、
福音とはどういうことなのかと問うてみますと。
返ってくる答えは。
必要が満たされ自分の思う通りに成ることが福音だと・・。
いやいや、十字架です。
キリストが流された血です。
イエス・キリストを信仰することだと・・・。
イエス・キリストとの関係を築くことが福音だと・・・。
日々の恵みに感謝することだと・・・。
みことば・御言葉に感謝することだと・・・。
信仰生活そのものだと・・・。
教会員同士の交流だとか、
教会生活が福音だという・・・。
クリスチャンらしい生活態度をすることだと・・・。
クリスチャンという特別なスタイルを身につけることが福音だと・・・。
”福音とは、神の家族 ”なのだという・・・・。
などなど様々な答えが返ってきます。
しかしそれは、大きな誤解だとしか言いようがないのです。
それらが福音だとしたら、
イエス・キリストが十字架に手首足首をくぎ打たれ、
はりつけになり死刑となった出来事はどのような意味を持つというのでしょうか。
イエスが私たちに代わって、私たちの罪の代価を、
イエス自らがその命をもって支払ったという、
イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)のわざという出来事は、
どのような意味を持つというのでしょぅか。
クリスチャンであることの、まず最初に明らかにしなければならない定義は、
この世界を造られた、また私たち人間をも造られた創造主なる神の、
その ”神の怒りの裁きから救われた者 ”、
すなわち、神と和解した者がクリスチャンなのだということをまず最初に明らかにしなければなりません。
神の怒りの裁きからの救いのために、
神のひとり子イエス・キリストはメシア・救い主としてこの世界に来られたのですから。
イエスは、神の怒りの裁きを、私たちに代わって受けられたのです。
つまり自らの命を代価として、神との和解を得させてくださった・・・・。
それが十字架の出来事の内容と意味なのです。
それを信仰によって受けとめることが、救いへとつながっていくのです。
クリスチャンとしての生活スタイルは、
このイエス・キリストの十字架の出来事から導き出される事柄を、
信仰によって受けとめることによってのみ、
クリスチャンとしての扱いを神から受けるのです。
人から扱いを受けるのではなく、神からです。
神のひとり子イエス・キリストによる、
十字架の死による贖いのわざを、
それを信仰によって受け止めることによって、
罪が赦され、罪から解き放され。
イエス・キリストの十字架の出来事が、
死と葬りと復活という、それが意味するものが、
すなわち、
決して現状の回復ではなく、新たな展開への旅立ちなのです。
古きは過ぎ去り、すべてが新しくされるという・・・。
滅びではなく永遠のいのちへの希望が・・。
それが、信仰ある者の、すべての生の局面に適用されるのです。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、
世をさばくためではなく、
御子によって、この世が救われるためである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・口語訳聖書)
教会は、決して人間のための施設ではありません。
神の教会は、神の啓示が語られるところなのです。
イエスキリストの十字架の出来事を通して、
私たちのところに届く神の啓示が・・・・・です。
北白川 スー
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
su-kitashirakawa Official Website
Wrote up on November 21, 2016.