救い主・メシア・キリスト
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救い主・メシア・キリストとも同じ意味ですが、
救い主が、この世界に生まれたということは、
この世界を創られた創造主としての神の目から見て、
この世界は堕落していることを意味しているわけです。
わたしは堕落してない・・・。
罪も犯してはいないから、
わたしは除外されると思っているあなた・・・、
あなたも例外ではありません。
だれひとりの例外もなくすべての人は罪人なのです。
クリスチャンであっても例外ではありません。
教会は罪人の共同体であることを忘れないでください。
ただし、教会の頭はキリストだけなのです。
創造主なる神は、この世界を、人間をも創造されました。
だから・・・・。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)
神のひとり子とは、イエス・キリストのことです。
神が、”ひとり子を与えた ”ということは、
ひとりの人がすべてのために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事を意味しています。
イエスこそ救い主・キリストなのです。
この十字架の出来事こそ福音そのものなのです。
では、何からの救いなのでしょうか。
私たちは救われなければならないということです。
”神の怒りの裁きから”・・・・・救われなければならないということです。
そして、救ってくださるのも神その方なのです。
私たちに代わって、神の怒りの裁きを、
その身に受け、
十字架に死なれたのが、
神のひとり子イエス・キリストなのです。
そのキリスト・イエスを信じるものは、
神の怒りの裁きから救われる・・・・・。
「口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、
あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、
口で公に言い表して救われるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章9〜10節・新共同訳聖書)
問題なのは、
自分は罪深い存在なのだと認識すること・・・・・。
常に罪を犯し続けている存在なのだと認識すること・・・。
私は、除外されないのだと・・・。
そこから、すべては始まります。
自らを知ることから・・・・。
北白川 スー
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Wrote up on March 05, 2013.