 
福音が広まらない理由・2
 
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日本での長い布教の歴史がありながらも、
 キリスト教の信仰というものが、
 なかなか社会的な広がりを見せないのは、
 日本の社会の中に何か特別な理由があるのでしょうか。
 
 日本の社会の中で、
 福音が説かれ解き明かされた上で、
 日本人の特異な性質が福音の宣教を拒んで来たとするなら・・・。
 それとも、
 キリスト教の教会が、
 福音を広く社会に向けて語ることを怠り、
 福音を知らない人々に、福音が届いていないとすれば・・・。
 
 福音・ゴスペル・良き知らせとは、
 神のひとり子イエス・キリストが人としてこの世界に生まれ来たこと、
 イエスの十字架による死と、葬りと、復活によって備えられた、
 神による、神の怒りの裁きからの救い・・・・という事柄であるわけです。
 
 ひとりの人がすべての人のために死んだという、
 神の裁きを、すべての人間に代わって引きうけてくださった、
 神のひとり子イエス・キリストの、
 十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事が、
 創造主なる神と被造物としての人間との和解の出来事として、
 神の啓示として、
 私たち人間のところにやって来た・・・・。
 
 そして、その神の啓示を、理解し、受け入れ承認することによって、
 つまり、神に背いた罪人として、その存在を認め、
 すべての生における営みを悔い改め、
 人間の生そのものの方向転換に手を付け、行動に移すなら・・・。
 
 「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。
 それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、
 キリストが死んでくださったので、
 召された者たちが、
 既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。」
 (新約聖書・ヘブル人への手紙・9章15節・新共同訳聖書)
 
 教会の説明不足が、福音が広まらない理由なら、
 それは教会の怠慢ということになるでしょう。
 日本人の特別な精神性が、
 福音を受け入れず拒むのであれば・・・・。
 どちらにせよ、
 神にたいする、教会が背負うべき、
 それだけはしなければならない任務や負担を果たしていないことになります。
 
 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
 わたしたち救われる者には神の力です。」
 (新約聖書・コリントの信徒への手紙・1章18節・新共同訳聖書)
 北白川 スー
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
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Wrote up on  January 22, 2014.