キリスト教の教会は、なぜ十字架なのでしょうか
教会の屋根に飾られた十字架・・・・。
チャペルには、十字架が必ず祭壇の正面に飾られています。
ファッション・アクセサリーにもなっているクロス・・・。
キリスト教の教会は、なぜ十字架なのでしょうか。
知られているようで、まったく知られていないのが、
十字架の意味なのかもしれません。
この日本では、ひょっとすると、教会が知らせるべきところを、
きちんと知らせて来なかったのかもしれません。
十字架とは、処刑の道具であるわけです。
イエス・キリストが罪人として、
手足をクギで打ち付けられ処刑されたのが十字架なのです。
罪を犯した者に加える制裁としての十字架刑・・・。
罪人が当然受けるべきむくいとして、
肉体的にまた精神的に苦痛を加えるための十字架・・・・。
聖書・バイブルが語っている十字架の意味は・・・。
つまり、この世界を造られた神が、
その神のひとり子であるイエス・キリストをして、
” 「 罪 」 という問題を十字架によって処理された ” ということなのです。
私たち人間の罪を、
神のひとり子である罪を認めないイエス・キリストを、
罪人である人間として十字架にはりつけることによって、
人間の罪を取り扱われたということなのです。
ですから、
イエス・キリストの十字架の出来事から・・・・・・知り得ることは。
神が神から見て、
人間の罪をどのように見ておられるのかということを、
知ることができるわけです。
この出来事は、ひとりの人、イエス・キリストが、
すべての人のために死んだという出来事に他ならないのです。
すなわち、この世界が、神の目から見て、
堕落していることをあらわしているのです。
逃げることも、救われることもできない状態なのです。
だから、神のひとり子イエスが、
キリストとして、この世界を救う救世主として、
この世界につかわされ、人として生まれ、
その身に、父であるにもかかわらず神がイエスの身の上に怒りを下されたのです。
罪深い私たち人間に代えて、
神の怒りを、わが子であるイエスの上に下されたのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)
それは神の愛の出来事であり、
罪深い私たち人間の現実を見てもそうなのですが・・・・、
このイエス・キリストの十字架の出来事を見て、
悔い改めなければならないのが私たち人間なのかもしれません。
罪深い存在であるがゆえに・・・・・。
この世界を造られた神は、
人間の本性的な、
生まれながらに負っている罪を解決するために、
救いの道を定められたのです。
私たちに代わって死んでくださったイエス・キリストへの信頼・信仰によって救われるという道筋を・・・・。
北白川 スー
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Wrote up: 10 July 2009.