十字架とキリスト



十字架に手首足首とを太い釘で打ち付けられ、
うなだれるイエス・キリスト像・・・・。
外国映画では、キリストを取り上げた作品が数多く制作されています。
日本でもよく上映されます。
しかし、なぜ、イエス・キリストが十字架に打ちつけられているのか、
この日本では、その意味を、広く一般には理解されていません。
イエス・キリストは、十字架刑により死刑となり、
葬られ、三日の後に死人のうちから復活したという・・・・。
この出来事こそが、
キリスト教が世界的な宗教として広まって行った、そもそもの発端なのです。

聖書の記述から見てみましょう。
弟子のペテロやほかの弟子たちに、イエスが話されているところからです。

「 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。
その途中、弟子たちに、
・・人々は、わたしのことを何者だと言っているか・・と言われた。
弟子たちは言った。
・・・洗礼者『ヨハネ』だと言っています。
ほかに、『エリヤ』だと言う人も、預言者の一人だと言う人もいます。・・・
そこでイエスがお尋ねになった。
・・それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。・・
ペトロが答えた。・・あなたはメシアです。・・
するとイエスは、
御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。
しかも、そのことをはっきりとお話しになった。
すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。
・・サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。・・」

(新約聖書・マルコによる福音書・8章27〜33節・新共同訳聖書)

ペテロは、イエスこそ、
待ちに待ったユダヤ人を苦境から救いだす救世主・メシア・キリストだと思っていたのです。
ユダヤ人ならだれしもそうなのです。
長年にわたってローマに支配されているのですから。
しかし、イエスは突拍子もないことを言いだしたのです。
ペテロたちにとって調子外れだからです。
よりによって、反対勢力につかまって殺されると言いだしたのですから。
さらに、死んでから、復活するというのです。
ペテロのあわてぶりもよく分かります。

当時のイスラエルは、長年にわたって内乱や強国の干渉にあい、
荒らされ、奪われ、囚われもしました。
だから聖書が預言するように、
いつか救世主が現われるとユダヤの民衆は信じていたのです。
彼らはイスラエルを救いへと導く、メシア・救世主の現われを待ちに待っていたのです。
イエスこそ、ユダヤ人を率いて立ちあがる人物だと期待していたのに、
よりによって捕えられて殺されるなんて・・・・。
ペテロたちの正直な心境でしょう。

イエスは、ペテロを指してサタンと言いましたが、
ここでは、悪魔という意味では使われてはいません。
「反対者」という本来の意味で使われたのです。

イスラエルという小国の都市・エルサレム・で起きた出来事ですが、
イエスは、イスラエルだけではなく、
全世界への ”神の支配 ”の拡大という大きな神のビジョンの下に、
この出来事は進行していると語ったのです。

イエスが明らかにしようとしている本質は、
私たちは、私たち自身の状況に目をとめるのではなく、
ただ神の道にのみ目をとめるようにと促しているのです。

この本質的なことこそ、私たち日本人にとっても理解しがたいものなのです。

天地万物を創造された神は、神の被造物としての人間にたいして、
神のひとり子イエス・キリストを通して、私たちに成され備えられたもの、
被造物としての人間のために、
創造主としての神ご自身がご自身の ”わざ ”として、
神のひとり子イエス・キリストが人となり、
十字架にかけられ死刑となり、葬られ、
三日の後に死人のうちから復活したという出来事が意味していること。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、
ユダヤ人に限らず、全世界の人たちにとっても重要な意味を持つものだからです。

「 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。
わたしたちはこう考えます。
すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。
その一人の方はすべての人のために死んでくださった。
その目的は、
生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、
自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」

(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章14〜15節・新共同訳聖書)

神のひとり子イエス・キリストの十字架の死による贖罪という出来事とは、
神にたいして犯した人間の罪の赦しと、神に背き続けてきた私たち人間との、
神との和解の出来事なのです。

私たち日本人は、このような内容の事柄を、
聞けば聞くほど、
その内容が、あまりにも日本人の感覚になじまず、
記憶を素通りしてしまうかのようにイメージさえつかむことができずにいます。
キリストの出来事を、神話であって、何か遠いところの、
自分たちには直接関係のない、
よそ事のように思っているはずです。

日本の多くの人たちは次のように言います。
神にたいして犯した人間の罪・・・・わけが分からない。
なぜ神と和解しなければならないのか。
人間はどうして罪人なのか。


北白川 スー

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Wrote up on December 06, 2013.