イエス・キリストを身近に感じていますか



日本のクリスチャンたちは、イエス・キリストを身近に感じていますか。

日本のクリスチャンたちに問いたい。
イエス・キリストを身近に感じていますか・・・・。

日本の教会の礼拝は、実に暗い・・・・。
信徒たちは、重苦しく、暗く沈んでいる・・・。
クリスチャン自身が、
日々の暮らしに疲れ苦悩の中を歩んでいるのだ・・・。

イエス・キリストに救われた喜びに。
自分に注がれている神の愛に・・・。
主イエスによって生かされ、
新しい命によって日々を歩んでいることへの感謝を・・・・。
なぜに礼拝のときに表さないのか・・・。

主イエスによって救われ、導かれ、
主イエスの復活のとき、あいまみえることのできることへの、
尽きることのない喜びと励ましが、
クリスチャンの日々の暮らしの源ではないのか。

なぜに、自分自身の正しさとを、
自己承認をことさら求めようとするのか。
なぜに、自分自身の努力とか頑張りに生きようとするのか。

なぜに、自分自身の要求や自己義認によっ生きようとするのか。
そこにあるのは、苦悩と挫折ではないのか。

どうして、神の意志に、神の言葉に耳を傾け、
神の求めに従い、神によって義とされる生き方を選ばないのか。

主イエスが差し伸べられた御手に導かれる日々を選ばないのか。

なぜに、新しく生まれ変わり、
主イエスによって生かされ、
新しい命によって歩もうとはしないのか。

あなたは、すでに新しく生まれたのではありませんか。

「イエスは答えて言われた。
「はっきり言っておく。
人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

「イエスはお答えになった。
「はっきり言っておく。
だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
肉から生まれたものは肉である。
霊から生まれたものは霊である。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章3節・同5~6節・新共同訳聖書)

なにも遠慮することはない。
礼拝のとき、
救われた喜びと感謝を表そうではないか。

教会の主はイエス・キリストです。

主イエスと共に生きていく生活を築こうではないか。

「生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、
わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」

(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・2章20節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on January 13, 2019.