何からの救いなのか・・・キリストって誰


 イエス・キリストとは誰なのでしょうか。

 キリストとはメシアのことです。

 救世主・・救い主のことなのです。

 同時に、イエス・キリストは、この世界を造られた創造主なる神のひとり子でもあります。

 キリストがこの世界に生まれたということは、

 この世界が救世主を必要としていることをあらわしています。


 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、

 救い主がお生まれになりました。

 この方こそ主キリストです。」

 (新約聖書・ルカによる福音書・2章11節・新改訳聖書)


 では、何からの救いなのでしょうか。

 病気からでしようか。経済的な困難からでしょうか。

 戦争からでしょうか。家庭の不和からでしょうか。

 苦難や惨事や災難からの救いのことなのでしょうか。


 さて・・・・・、

 この世界を造られた神のひとり子イエス・キリストが、

 救い主としてこの世界に生まれたということは、

 この世界を造られた創造主なる神の目からみて、

 この世界が堕落している・・・・罪にまみれていることをあらわしているわけです。

 そうであるなら、救い主であるはずのイエス・キリストが、なぜ十字架によって処刑されたのでしょうか。

 救い主が死んでしまえば、

 私たちを救うことなどできないことになります。

 イエス・キリストは、罪人として十字架刑により処刑されました。

 ” ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事 ” なのです。

 つまり、すべての人間にたいする神の怒りと裁きが、イエス・キリストの上に起きたのです。

 本来なら、罪にまみれている私たち人間が、

 この世界を造られた神によって裁かれ罰せられなければならないはずなのに・・・・・。

 私たちに代わって神のひとり子であるイエス・キリストが、裁かれ罰せられたのです。

 神の怒りから救われなければならないはずの人間に代わって、

 神の怒りを受けられたのがイエス・キリストなのです。

 これは、創造主なる神の作品、被造物である人間にたいする神の愛のあらわれなのです。


 「 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。

 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16節・口語訳聖書)


 イエス・キリストが、私たちに代わって死なれたということは、

 人間みな、ひとりの例外もなく罰せられて死んだということをあらわしています。

 しかし、イエス・キリストは、葬られた後、三日の後に死人のうちから復活されたのです。

 この復活は、キリストへの信仰を通して、

 私たちも復活できる約束をあらわしています。

 それを確かなものとされたのです。


 「 口でイエスは主であると公に言い表し、

 心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、

 あなたは救われるからです。」

 (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・10章9節・新共同訳聖書)


 キリストの復活は、復活を確かなものとして明らかにされたのです。

 それは、いつのことなのでしょうか。

 それは、キリストが再びこの世界に来られるとき、

 それは、最後の審判の日なのです。

 そのときこそ、神の怒りと裁きとは確かな約束として起きるのです。

 生きている人も、死んだ人も、神の前に立ち、さばきを受けなければなりません。

 天国か地獄か・・・永遠の命へ移されるのか、

 それとも、永遠の苦しみへと落とされるのか・・・・・。

 では、何からの救いなのでしょうか。

 地獄へ落とされたくはありません・・・・・。

 ならば、永遠の命を信じるほかはないでしょう。

 私たちは救われなければならないのです。

 ところが、救ってくださるのは神ご自身なのです。

 イエス・キリストこそ、

 やがて来るであろう、神の怒りと裁きから救ってくださる救い主なのです。

 神の怒りと裁きから、私たちは救われなければなりません。

 ところが、救ってくださるのは、その神そのものなのです。


北白川 スー

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Wrote up: 15 September 2009.