天国と地獄


 人が死んだなら、死んでからまず最初通らなければならない関門が地獄行きです。

 あの世、死者の国・・・。

 地獄で待ち受けているのは、地獄の王・閻魔・エンマさまです。

 エンマ大王なるジャッジ・審判が、

 地獄に落ちた死者の生前の行いを裁くのです。

 死者の生きていたときの行いや言葉や思いなどについて、

 善行・悪行を裁かれるのです。

 それによって、地獄へ行くのかそれとも極楽へ行くのかが判定されるわけです。

 地獄の王・エンマ様が、死者の生前の行状を書きしるしたというファイル・ノートによって、

 悪行の多い者は地獄に、善行の多い者は極楽にと振り分けるのです。

 どうもすべての死者は、まずは地獄へ落ちるようです。

 それから、極楽か、それともそのまま地獄のままか・・・。


 さてキリスト教の聖書・バイブルではどうなのでしょうか。

 イエス・キリストが再びこの世界に来られるとき、

 すなわち来臨・再臨のとき、

 生きている者も死んだ者も最後の審判が待ちかまえています。

 神の裁きが待ち受けているわけです。

 永遠に続く地獄の苦しみか、それとも永遠の命か・・・。

 しかし、生きていたときの行いによって裁かれるのではありません。

 善行や悪行の違いによってではないのです。

 私たち人間はだれひとりの例外もなく神の怒りを受けなければならないのです。

 最初の人間が神に背いたため、それに続く人類はことごとく罪の中を歩んでいるからです。

 ですから、実に恐ろしいものが待ち構えているわけです。

 しかし、そこからの救いというものが、

 キリスト教信仰の本質なのです。

 死者から復活されたイエス・キリストへの信仰によって、

 罪にたいして死にます。罪に対してです。

 罪に死んだ者が、命によって生かされるのです。

 つまり、死と罪という法則から解放されるのです。


 「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、

 罪と死との法則からあなたを解放したからです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・8章2節・新共同訳聖書)


 イエス・キリストは、私たちの罪をその身に負い、

 死をもって、私たちの罪を贖って(あがなって)くださったのです。

 罪にたいする死という法則は、

 キリストによって滅ぼされたのです。

 生きているときに、イエス・キリストへの信仰を持つこと、

 キリスト教は、死者のための宗教ではありません。

 生きている者のための信仰なのです。

 生きているときの行いではなく、

 行いによる救いではなく、

 信仰によってのみ救われるのです。

 まあ、エンマさまにしても、キリストにしても、

 待ち構えているのは地獄に違いありませんが。

 違いと言えば、行いではなく信仰なのです。

 だから信仰によってのみ救われるのです。

 イエス・キリストへの信仰によって地獄を素通りして、直に天国へです。

 信仰によってのみ天国へ、永遠の命へと移されるのです。


北白川 スー

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Wrote up: 01 March 2010.