勘違い・・ボタンのかけ違い


 多くの人は、何かの原因で思い違いをしている。

 多くの人は、自分流の救い、そして自分の期待する癒し(いやし)を求めて、勘違いな方向へと身をまかせている。

 だれしも傷つきたくはないからだ。

 なぜならば、

 キリスト教の教会において、

 イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)の出来事の内容と意味とが解き明かされず、

 また、教会の外へ発信されないものだから・・・。

 日本のキリスト教の教会が、

 人の義を立てることに応えようとするなら、

 人間の罪について、罪の赦しについて、

 すなわち " 真理 " について " 救い " について語ることはできない。

 多くの場合、人は、自分の義を求めて教会にやってくる。

 自分の生き方にたいして、肯定的な姿勢や取り扱い、はげましやなぐさめの言葉を期待するからだ。

 またそれらが得られると思って・・・・。

 しかし、キリストへの信仰・・つまりキリストへの信頼というものは、

 キリストへ自分のすべてをゆだねたのなら、

 過去に思い悩むことはないのである。

 明日が問題であり、昨日が問題ではないからだ。

 リードし、ガイドしてくださるのはイエス・キリストその方なのだから。


 「なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章3節・新共同訳聖書)


 しかしながら、多くの場合、自分の望むようには、

 イエス・キリストはリードしてくださらない・・・・。

 すなわち、今まで、私たちが罪深くあらぬ方向を向いていたからである。


 「まず神の国と神の義とを求めなさい。

 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

 だから、あすのことを思いわずらうな。

 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。

 一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・6章33〜34節・口語訳聖書)


 決して、自分の義を求めることが救いではないのである。

 多くの場合がその逆なのだ。

 この世界を造られた神の義こそが、

 私たち被造物としての人間に平安をもたらすのだから。

 私たちが暮らすこの地球を壊してきたのは、

 罪深い私たち人間である。

 その罪深い人間たちの努力や知恵によってでは、

 この地球を元通りにすることはできない。

 元通りにすることが出来るのは創造主なる神だけである。


北白川 スー

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Wrote up: 28 March 2010.