天国か地獄かの選択


 このまま行けば、日本の多くの人は、

 いや、大多数の人は地獄へ行かなければならないでしょう。

 イエス・キリストが再びこの地上に来られるとき、

 生きている者も、かつて生きていた者も、

 すべての人は、神の審判が待ちかまえています。

 神の裁きが待っているのです。

 そして、天国か地獄か、どちらかへ行かなければなりません。


 「なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、

 善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、

 それぞれ報いを受けねばならないからである。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章10節・口語訳聖書)


 神のひとり子イエス・キリストがこの世界に生まれ来られて、

 私たちの代わりに罪人として十字架にかけられ、

 死して私たちの罪を贖って(あがなって)くださった出来事・・、

 その出来事からすでに2000年の時は流れました。

 世の終わりは近いのです、世界の終末は迫っています。

 世の終わりのとき、神は私たちを裁かれます。

 裁きには理由があります。

 私たち被造物としての人間は、この世界を造られた神にたいして罪を負っているからです。


 「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、

 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章23〜24節・新共同訳聖書)


 では、神の裁きから救われるために何をしなければならないのでしょうか。

 「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから。」

 ただひとつ残されている方法は、

 それは、神との和解のほかに何ものもありません。

 その和解の出来事こそ、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ・・・という出来事なのです。

 その出来事を信じることしか、救いの道は残されてはいません。


 「口でイエスは主であると公に言い表し、

 心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、

 あなたは救われるからです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章9節・新共同訳聖書)


 この世界を造られ、人間をも造られた神が、

 ご自身のひとり子イエス・キリストの生と死と復活において明らかにされた、

 私たち人間にたいしてそなえられた救い・・・・という計画。

 そのキリストへの信仰によって、

 神との和解が約束され、

 神への罪が赦され、

 罪から解き離されるのです。

 そうしてこそ、

 待っているのは地獄ではなく天国なのです。

 キリスト教は終末論に立っています。

 この世界は必ず終わりを迎えます。

 世界の終わりのとき、神の裁きが待っています。

 天国か地獄か・・・・。

 罪からの回心をしてこそ天国への道が開かれます。

 罪を引きずったままでいれば待っているのは地獄行きです。

 罪を悔い改めなければ、必ず神の怒りにふれ地獄が待っています。

 罪を悔い改め、キリストのみに信頼を置く者は、

 神の前で義なる者と、正しい者として神は宣言されます。

 つまり天国への道が約束されるのです。


北白川 スー

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Wrote up: 26 June 2010.