自分の思う通りにならないいらだち



人間関係において、自分の働きが評価されない苦しみはつらいものです。
自分の思いや考え方ややり方が評価されない、認められない・・・。
正しいと思っているのに、なぜ・・・・。

どのような共同体であっても、その共同体の秩序を守るために、
良し悪しは別として ”ある価値観や基準や利害関係 ”が存在しています。

そのことに気付かなければなりません。
さらに、自分自身の考えややり方が最もであり優先すると考えているなら・・。
それが、共同体の人間関係に混乱や不協和音を生み出している原因となります。
混乱が生まれてくれば、共同体の秩序は乱れてきます。

共同体においては、共有しなければならないビジョンやテーマやルールがあります。
足並みのそろったビジョンやルールがあればこそ共同体は成り立ちます。

さて、キリストの福音は、
すべての人が共有しなければならない情報なのです。
ビジョンとなり、ルールとなるものです。
展望であり希望なのです。

ひとりの人がすべての人のために死んだという、
キリストの十字架の出来事は、
すべての人に現わされた神の啓示であり、
決して個人的なものではありません。

すべての人に向けて、次のような言葉が与えられています。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる。」

(旧約聖書・詩篇・46編10節・口語訳聖書)

・・汝ら静まりて我の神たるを知れ・・
静まって、わたしこそ神であることを知れと・・・・。
私たちが、なんらかの混乱に出会ったとき・・、
なぜ自分を疑わないのでしょうか。
まずは、何よりも先に動きを止めなければなりません。
行ないではなく、信仰を働かせることを求めているのです。

自分の思いや考え方ややり方が認められない苦しみ、
自分の思う通りにならないいらだちは分かりますが。
福音は、すべての人が共有しなければならない情報なのです。

創造主なる神は、神との関係を言っています。
ただひとりの神に聞き従うことを求めているのです。
人間や共同体との関係を言っているのではありません。

「主はアブラムに言われた。
・・あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし、
あなたを祝福し、あなたの名を高める、
祝福の源となるように。・・」

(旧約聖書・創世記・12章1〜2節・新共同訳聖書)

福音は、すべての人に向けて明らかにされたものです。
祝福は、人間的な、しがらみやまつわりついて離れないものを捨てることから始まります。


北白川 スー

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Wrote up on December 13, 2014.