布教の進まない日本のキリスト教
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依然としてクリスチャンが増えないこの日本。
何が原因なのでしょうか。
何か特別な理由でもあるのでしょうか。
日本の多くの人たちにたいして、
キリスト教の根本的なものが、
原理的なものが知らされていないのかもしれません。
広く明らかにされていないのかもしれません。
またその努力を、キリスト教の教会が怠っているのかもしれません。
クリスチャンになるということは、改宗することです。
改宗すること自体は簡単なことです。
ギャラップの統計調査の数値では、
自称クリスチャンが全人口の6パーセントと報告されています。
しかし、根本的かつ原理的なことを理解している否かは別問題です。
回心するということは、
キリストなる神に心の向きを変えることを意味しています。
難しい表現をします。
天地万物を創造された神の被造物としての人間の歴史を完成する、
イエス・キリストの生と死と葬りによって、
イエス・キリストの十字架の出来事によって、
天地万物を創造された神は、
神の望まれる目標に到達するための人間の歴史の中において、
語られたし、今も語っておられ、
これからも語り続けられているのです。
私たちの信仰とは、この神の語りかけに耳を傾け、
この神の意志に答えることなのです。
何よりもの前提は、
私たち人類は、
天地万物を創られた創造主なる神が造られた存在なのだということです。
私たち人類を創造された理由があるのです。
創造主に栄光を返すために作品は創られたのですから・・・・。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)
聖書・バイブルは、世界は私たち人間をも含めて、
救われなければならないほどに堕落していると示しています。
またその理由を明らかにしています。
「そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、
一人の正しい行為によって、
すべての人が義とされて命を得ることになったのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章18節・新共同訳聖書)
一人の罪とはアダムのエデンの園の出来事であり、
一人の正しい行為とは、キリスト・イエスの十字架の出来事です。
回心するということは、
一人の例外もなく、
私たち人間は苦境の中に在り、
混乱の中に在ることを認識しなければ、
心の向きを変えることは出来ないのです。
人間の苦境の原因、混乱の原因は何かを明らかにしているのも、
聖書・バイブルです・・・。
日本の精神風土は、
自己実現を目指すことが美徳とされています。
自分の可能性を信じ、自分を生かすことが正しいことだと。
自分の生き方は間違ってはいないと。
自分の思いや言葉、行為や行動を疑うことをしません。
自分の思うように生きることが良いことだと、
あなたの生き方は間違ってはいないというコミットが欲しい。
どうもこの当たりがキリストへの信仰を妨げているのかもしれません。
しかし、聖書・バイブルは、
すべての人は罪の中にあると・・・・。
「次のように書いてあるとおりです。
・・正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章10〜12節・新共同訳聖書)
日本の精神風土と、聖書・バイブルとでは、
大きなギャップがあるのですが、
イエス・キリストの十字架の出来事が説かれ、
解き明かされれば・・・・・。
人間の本性的な性質が明らかにされるのですが・・・・・。
北白川 スー
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Wrote up on February 16, 2017.