現代社会の病理からのライフライン
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教会は、現代社会の病理からのライフラインなのか。
日本のキリスト教の教会は、
現代社会の病理の中で、
身のまわりに頼りになる、
心の通いあえる相手がひとりもいない、
孤独や孤立を味わっている人たちや、
健康を害したり、
経済的に大きな問題を抱えたり、
不利な立場に置かれている人たちのライフラインだと言われている。
現代社会の病理の中でのライフラインとして、
受け皿として機能することを、
社会から、
同じ社会の中の建っている教会の役割として重荷を負わされていると言っていい。
しかし、必ずしもそれは、決して聖書的なものではないのです。
なぜかと言えば、
イエス・キリストの十字架の出来事は、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事は、
神のひとり子イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、
まさしく神の啓示の出来事だからです。
だれひとりの例外もなく、
すべての人間にたいして語られた神の啓示の出来事だからです。
どのような地位や立場や環境に置かれていても、
時の総理大臣であろうと、
セレブと言われて誇っている人であっても、
ポームレスを強いられている人であっても、
決して特定の人たちへの啓示ではないのです。
現代社会の中に存在しているキリスト教の教会の働きとして、
それが、社会の中での重要な生命線としての働きであったとしても、
決して、それがすべてではないのです。
イエス・キリストの十字架の出来事は、
だれ一人の例外もなく、
罪を負って生れてきた者にたいする神の救済の出来事だからです。
決して善良で正しいから救われなければならないというようなものではないのです。
「 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。
わたしたちはこう考えている。
ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、
すべての人が死んだのである。」
(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章14節・口語訳聖書)
仮に、特定の人たちへの働きかけが、
キリスト教の教会の、その立場にある者として、
他を犠牲にしてでも果たすべき義務であるとしたら・・・。
キリスト教の教会が明らかにし、
対象が、だれひとりの例外もなく、
語り広めていかなければならない神の啓示が、
神の啓示でなくなってしまうのです。
「 わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16節・新共同訳聖書)
神の啓示とは、すべての人たちが対象だからです。
「 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、
神の怒りが天から啓示されているからです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章18節・新改訳聖書)
北白川 スー
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on July 25, 2013.