この苦しみから脱け出すには
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人は日々、それらから逃れられず、
心を煩わせ、悩ませ、ストレスを積み重ねています。
なぜに抜け出すことを考えないのか。
なぜにそうなのか探ろうともしないのか。
疑いもせず、客観視することもせずに・・・・・。
夫婦の間にできてしまった溝のことであったり、
夫の金づかいの荒さであったり、
不登校やいじめ、進学のことであったり、
病気のことであったり、
職場での人間関係であったり、
住まいや、恋愛、結婚、リストラ、年金のことであったり・・・・と。
書き出せば切りがないほどに不安と悩みは尽きません。
からだにしみて切実で、大切なことだと思っています。
どうしても、それが必要なのです・・・。
生きて行くには、
どれだけの峠を越えて行かなければならないのでしょうか。
どうすればいいのか、どうすれば解決するのか・・、
どうすれば、この不安や悩みや苦しみから抜け出し逃れられるのでしょうか・・。
キリストの教会には、
このように日々の暮らしの中で出会ってしまった不安や悩みや苦しみをかかえて、
どうすれば解決できるのか、
どうすれば、そこから抜け出すことが出来るのか、
そこから逃れられるのか・・・・と。
その答をさがし求めておられる方が来られます。
しかし、キリストの教会は明確な答えを提供していないのが現実かもしれません。
日々自分を苦しめている、
この現実の問題が解決しなければ、幸せは来ないのです。
これらの問題を、これらの現実の問題を解決する方法が、
目先に迫っている不安や悩みや苦しみといった問題から、
抜け出し、解きほぐす別の法があるとしたら。
聖書・バイブルは、次のように語っています。
「生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、
わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」
(新約聖書・ガラテアの信徒への手紙・2章20節・口語訳聖書)
聖書が私の不安と、私の必要と、何の関係があるの・・・?。
しかし、この聖書の言葉には、
人間として本質的なことが、
本質であるがゆえに、キリストへの信仰が語られているのです。
・・・どこに、私の切実なことと、キリストと関係があるの・・?。
この聖書の言葉は、
次のように問いかけていることに気付いてください。
「あなたにとって、人生とは何ですか・・・。」
現実の問題に悩んでいる、その姿にです。
大切なことだと思っている、そのことにです。
あなたが悩んでいる問題は、本当に大切なことですか。
大切なことは、別にあるのではありませんか。
それが手にはいれば幸せになれると思っている、
その姿にこそ問題が隠されているとしたら。
それが手にはいれば幸せになれると思えば思うほど苦しみは増し加わっているはずです。
それを手に入れることによってではなく、
その悩みから苦しみから、根本的に解き放たれるとしたら。
キリストへの信仰によって生きるとは、
それを手にいれようとして、
苦しみ悩んでいる自分自身の姿というものの、
本当の姿を知るということなのです。
その姿を、キリスト教では、「的外れ・・・」と言いあらわします。
それを手に入れることが解決につながると思っているのに、
それが的外れなんて・・。
わたしのどこが的外れだと・・・・。
それをあらわしているのがイエス・キリストの十字架の出来事なのです。
なぜ、イエスは神の子としてこの世に来られたのでしょうか、
なぜ、罪を認めないイエスは罪人として十字架の上で死なれたのでしょうか。
その意味が分かったとき、
はじめて、罪にとらわれ、罪に苦しみ、罪から逃げられないでいた自分の姿ということが分かります。
キリスト教は、善人ぶって嫌いだという方もおられることでしょう。
わたしは罪なんて犯していないという方もおられることでしょう。
しかし、人間というものは、基本的に物事がよく見えなくて、
愚かで、弱いものだという認識に立たなければ、
そこから抜け出すことはできないのではないでしょうか。
イエス・キリストが罪人として十字架の上で死なれたとき、
私たちの古い自我・エゴも一緒に死んでしまったのです。
今までは、罪に支配されていたものが、キリストを信じることによって、
私たちを愛し、
私たちのためにご自身をささげてくださった神のひとり子イエスを信じることによって、
新しく神の支配の下で生きていけるようになるのです。
つまり、価値観の転換と言っていいでしょう。
キリストの価値観のほうが素晴らしくて輝いているとしたら・・・。
「だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
(新約聖書・コリントとの信徒への手紙・5章17節・新改訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on July 16, 2016.