解き放たれ、自由になるために



それが手にはいれば幸せになれる、人生は変わると信じて・・・。
家に車、ダイエットにコスメ、・・・、
彼や彼女ができれば、収入が上がれば・・・。
財産に健康、保険や年金、子どもの教育に進学、
いい会社に就職して、幸せな結婚をしてくれたら・・・・。
自分の働きが評価され、認められれば・・・・。
憲法9条が守られ、原発の再稼働が止められれば・・・・。

書き出せば切りがありません。
人はそれぞれに、
それが手にはいれば幸せになれると信じて追い求めているものがあるはずです。
それを求めて一生懸命働き生きているはずです。
しかし、意に反して、追い求めれば求めるほどに、
考えれば考えるほどに、
苦しみは増し加わっているのではありませんか。

言い方をかえれば、
それらは、あなたにとって、すべてが ” 神 ” なのです。
クリスチャンであっても無かっても同じです。

もしも、キリストへの信仰があると言いながらも、
それらの世俗的な望みに、期待を抱き、実現を願っているのなら、
形あるものを求めるのなら、それはご利益信仰となんら変わりはありません。
聖書的に言えば、偶像崇拝ではありませんか。

クリスチャンに聞きます。
イエス・キリストは、
なんのためにその命を十字架にささげられたのですか。

聖書・バイブルは次のように語っています。
「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、
私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。
私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」

(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・1章4節・新改訳聖書)

キリスト・イエスは、
私たちを苦しめているものは何であるのか、
その正体を明らかにされました。
そして、そこからの解放を望まれているのではありませんか。
それが十字架による死ではありませんか。

私たちは、あまりにも当然のように、
日々の暮らしの中で持ち上がって来る、
さまざまな願いや望みというものを、
形あるものとして実現し、それを得ることによって救われると・・・。
それが恵みだと・・・・。
そうであることについて、
なんら疑いをはさむ余地がないかのように受けとめているはずです。

そのことが、自分をしばり、自分から自由をうばっているとは思わずに。
囚われ縛られていることに気づいてはいません。

イエス・キリストが十字架の上で死なれたということは、
”私たちを縛っているもの ”と共に死なれたということをあらわしています。
それらを実現するために死なれたのではありません。

私たちが抱く感情、あれが欲しい、こうしたい・・、
そうあらねばならぬ・・、といったように形になって目に見えるものから、
別れを告げるということなのです。

もしも、願い望み求めているものから、
なぜ別れなければならないのか分かっていないのなら。
それは、キリスト・イエスと共に死ぬということ。

つまり、自分の心の中に巣くっている罪と一緒に死ぬということが分からないのです。

それが、人間の本性的な性質から解き放つことを、
自由への道であるにもかかわらず。

私たちを救うために、支払われた代価というもの、
それこそがイエス・キリストの命なのです。

ではなぜ自由を求めないのでしょうか。
なぜ縛られることをあえて求めるのでしょうか。

それは、神が、私たちを救うために支払われた代価というものの実態を、
イエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とを知らないだけの話しなのです。

もしも、形あるもの、世俗的な望みを得ることによって救われると考えるなら、
それこそイエス・キリストの死は無意味なものとなるのです。

もしも、イエス・キリストと共に死ぬことを選ぶならば、
キリストと共に復活するなら、
私たちの自由をうばい、私たちを縛っている縄目が解かれ、
自由を勝ち取ることにできるのです。

「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・2章20節・新改訳聖書)

キリストの十字架の出来事を自分のこととして受け止めるなら、
キリストと共に死にまた復活することを意味し、
イエスを信じ、イエスを自分の”主 ”と位置付けて、
キリストに聞き従うことを、
キリストと共に歩むことを言いあらわしています。

あなたの自由のためにキリストは、
あなたに代わって十字架に死なれたのです。

創造主なる神が望んでおられる、地上での私たちの暮らしとは、
いったいどのような暮らしなのでしょうか。
それは、繁栄と物質的に豊かな暮らしなのでしょうか・・・・・・。

聖書が言うところの敬虔な暮らしとは、
いったいどのような暮らしなのでしょうか・・・・・・。


北白川 スー

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Wrote up on June 11, 2015.