その人の生き方にたいして肯定的ではなく


 人々がキリスト教の教会やクリスチャンに期待するものは何かと考えてみれば。

 家庭や家族の問題であったり、

 会社や組織の人間関係であったり、

 病気のことであったり、健康への不安であったり、

 金銭的なことであったり・・・・・と。

 相談を受けたり、問題を持ち込まれたりするとき、

 その人の生き方にたいする肯定的な評価や、

 考え方ややり方にたいして賛成を求められます。

 その人の気持ちや意見を認めて、それと同じようになるようにと、

 言うなれば、・・罪など犯してはいない・・と。

 その通りで間違いがない、あなたは間違ってはいない正しい・・・と。

 自分にたいする肯定的な評価を得たいのです。

 自分の正しさ・自分の義が立てられることを求められるのです。

 簡単に言えば、自分の意にそった形でということです。

 その人の面目が保てるように、

 自分の利益になるようにと、

 それなら、御利益信仰そのものです。

 言い方を変えれば、信仰以前の問題なのです。

 その人の生き方にたいして肯定的な答えをすることが、

 キリストの福音ではありません。

 それは、明確に言えます。


 「 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、

 自分の義を立てようと努め、

 神の義に従わなかったからである。

 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、

 律法の終りとなられたのである。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章3〜4節・口語訳聖書)


 では、キリスト教の福音の内容そのものである、

 イエス・キリストが十字架で死んだという出来事は、

 神のひとり子であるイエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、

 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事は、

 何を意味しているのでしょうか。

 私たちに代わって、罪人として十字架刑によって死刑となったイエス・キリスト。

 本来なら、私たちが罪人として罰せられる立場にあるのです。

 それなのに、私たちに代わって死んでくださったイエス・キリスト。

 つまり、誰ひとりの例外もなく、

 私たちは罪深い存在だということなのです。

 私たち人間には義などありません。

 神の前で正しい存在ではないのです。

 人間というものは、どんなことをしても、

 清い存在ではありません。

 ですから、汚れた姿を持って神の前に出ることはできないのです。

 神の前に正しい者として出ることができるのは、

 神の義を持って出るしか方法はありません。

 では、その神の義・神の正しさとはいったいどういうことなのでしょうか。

 その神の義・神の正しさこそ、

 私たちに代わって罰せられたイエス・キリスト、

 私たちに代わって死んでくださった神の愛そのものなのです。

 その死を受け入れること。

 私は罪深い存在であることを認め受け入れ。

 そして、私に代わって罰せられたイエスの愛を受け入れること。

 そうしてこそ、神の前で正しい存在として神によって認められるのです。


 「 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、

 あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、

 あなたは救われるからです。

 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章9〜10節・新改訳聖書)


 私たちは皆、だれひとりの例外もなく罪人です。

 私たちには義はありません。

 それなのに、自分の生き方にたいして肯定的な評価と答えを、

 教会に、またクリスチャンに求めるのは正しくはありません。

 問題なのは、イエス・キリストが十字架で死んで、

 私たちに与えようとされる神の愛を受けとめること、

 受け入れ、受け取ること。

 そのイエス・キリストの愛に応答することこそ救いへの道なのです。


 「 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、

 キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、

 神はわたしたちに対する愛を示されました。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章8節・新共同訳聖書)


 ですから、自分の生き方を根本的に悔い改めること、

 そして、神に聞き従うこと。

 それがキリスト教の信仰なのです。


 「 実に、信仰は聞くことにより、

 しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)


 欲望を満たすことが正当化される世の中。

 手なずけられ、ならされていると言っていい。


北白川 スー

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Wrote up on 09 May 2011.