キリストによる「救い」とは何だろう
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キリストに惹かれれはじめて、教会の礼拝にも出るようになり、
いろいろと教会の行事などを手伝い、信徒たちとも交流するようにもなりました。
つまり信仰を持つようになったわけですが・・・・。
でも、信仰を持ったものの、
なぜか救われた思いがしないのです。
今もいろいろと問題を引きずったままですし、
暮らしの不満や不安や心配も尽きません。
新約聖書のローマの信徒への手紙でパウロは次のように語っています。
「私は、彼らが神様の誉れをどんなに熱心に求めているか、よく知っています。
しかし、それは見当違いの熱心なのです。
というのも、彼らには、
キリスト様が自分たちを神様の前に正しい者とするために死んでくださったことが、
わかってないからです。」
(新約聖書・ローマ人への手紙10章2〜3節・リビングバイブル)
とてもきびしいパウロの言葉です。
イエス・キリストが十字架の上で処刑され、葬られ、そして三日の後によみがえった出来事こそが、
私たちを不安や心配から解きはなってくださるものなのですか・・・。
でも、正直言って、イエス・キリストの十字架の出来事と、
自分の暮らしとどのようにつながっているのかが分かりません。
子どもの教育のことで悩みますし、
年金や保険など将来の不安もあります。
老後のことも、考えれば次から次へと・・・・。
実に、このような話しを聞くことは多いのです。
しかし考えてみてください。
教育や保険や・・・それらのものは、暮らしの大事ではありますが、
それがすべてではありません。
それらは、心をほんの一部分しか満たさないことを知ってください。
キリストへの信仰というものは、
いかに魂の喜びを味わい、
魂の喜びを知った生活をするのかということなのです。
キリストへの信仰を持つことによって、
混沌としたこの世界というものが見えてきますし、
混乱した私たち自身の本性・実体も分かってきます。
ですから、世界の見方も変わりますし、
身体的な変化もあらわれてきます。
ストレスのようなものも覚えなくなります。
物事の成り行きも見えてきますし、
小さなことに捕らわれず、
全体を広い視野に立って見渡すことができるようになります。
細かなことに捕らわれず、
物事の本当の成り行きが見定めることもできるようになるのです。
キリストへの信仰を持つということは、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の、
内容と意味とを理解し、
その事実を認め、その正当性を承認し、受け入れることによって、
つまり、キリストへの信仰を、心で信じて口で言いあらわすことによって、
今まで経験したことのなかった新しいものの見方や考え方が「与えられる」のです。
パウロは語っています。
「しかし、信仰は、このキリスト様の良い知らせに耳を傾けることから、始まるのです。」
(新約聖書・ローマ人への手紙10章17節・リビングバイブル)
私たちは、先ずは自分の暮らし向きの必要とするものから始めるものですが、
パウロは、そうではなく、キリストの言葉に耳を傾けることから始めなさいと言っています。
キリストへの信仰というものは、すべてイエス・キリストの十字架の出来事から始まっているのです。
私たちのために死んでくださったキリストを信じることによって与えられるのが、
神の裁きを、私たちに代わって受けて下さったキリストを受け入れることが、
神の怒りの裁きからの「救い」なのです。
パウロは重ねて語っています。
「(キリストを信じることによって与えられる救いは)すでに、
私たちののすぐ手の届くところにあるからです。
実際それは、自分の心や口のように、すぐ近くにあるのです。
なぜなら、もし自分の口で『イエス・キリストは私の主です』と告白し、
自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われるからです。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、
その信仰を自分の口で告白することによって、
救いを確実なものとするからです。」
(新約聖書・ローマ人への手紙10章8〜10節・リビングバイブル)
私たちの心を悩ませている価値観と、つまり暮らし向きの望みや願いというものと、
聖書は、それらは、この世の欲望に囚われている・とらわれている私たちの姿として描いています。
イエス・キリストが示された価値観との間に、大きな違いがあります。
私たちは、見えるもの、つかめるものによって心は満たされるものと考えています。
しかし聖書は、ほんとうに心を満たすものは、
目に見えないものからやって来るものなのだと語っているのです。
死からのよみがえりを信じることができるなら、
私たちがおちいっている状態から救い出してくださることを信じることができるでしょう。
まことの救いとは、
この世の真実、私たちの命の真実に目覚めることによってやって来るのです。
北白川 スー
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on June 17, 2006.