神の秘められた計画



この日本では、クリスチャンはごく少数派に甘んじています。
日曜日になれば行なわれているキリスト教の教会の礼拝には、
全人口の1パーセントにも満たない人たちが集っているにすぎないのです。

その理由として、
日本人がキリスト教を避けているわけではないのですが、
キリスト教の信仰についての理解が欠けているに過ぎないのではと考えるほうが最もらしいと思われます。

なぜなら、キリスト教の信仰について、
何も知らされていないからです。

”福音・フクイン ”が広く一般に詳しく解き明かされていない現状においては・・・、
福音宣教なき日本においては・・・、
まず何よりもしなければならない事は、
福音の解き明かしなのです。
すべての人々に福音を語り伝えるということなのです。

すなわち、
福音とは何か・・・というところから始めなければならないのです。
キリスト教の信仰において、
最も根本的で初歩的なことがらとして、
信仰者の信仰を支え、
人生の土台となるものとしての福音をです。

イエス・キリストとは誰なのか・・・。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事とはどのような出来事なのか。
そのキリストの十字架の出来事が、
キリストへの信仰においてどのように個々人に適用されるのか。
その結果、何が起きるのか。

つまり、
この世界を創られた神による、
イエス・キリストの生と死と葬りとによって備えられた救いについて・・・・。

このような事柄が広く一般に向けて解き明かされなければ、
キリスト教の信仰は広まりはしないのではないでしょうか。

キリストとは救い主のことです。
救い主がこの世界に生れ来られたということは、
この世界が、
この世界を創られた創造主なる神の目から見て、
堕落していることをあらわしているのです。
私たちが弱く愚かな存在でなければ、
逃げることも救われることも出来ない状態でなかったなら、
救い主など必要とはしないのですから。

「世の初めから代々にわたって隠されていた、
秘められた計画が、
今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。」

(新約聖書・コロサイの信徒への手紙・1章26節・新共同訳聖書)

神の人間にたいして明らかにされた、
神の計画というものが、
私たち日本人にたいして明らかにされていない現実・・・。

日本の社会では、
キリスト教や、キリスト教の信仰、
クリスチャンというものへのイメージが、
聖書・バイブルが語る内容のものから、
遠く離れたものとして理解されているのが現状かもしれません。
キリスト教の信仰が少数派に甘んじているのは、
そのあたりに本当の理由が隠されているのかもしれません。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on October 06, 2013.