罪について考える
キリスト教が ”罪 ”について考えるとき、
それは、私たちがときどき犯す過ちのことではない。
もっと根の深いところにあるものを言うのです。
キリスト教が言う「罪」とは、
私たちの社会の法律や規律やルールや道徳や倫理に反した行為や行動や言葉や思いなどのことを言っているのではありません。
私たちの具体的な行為よりも、もっと根の深いところにあるものを言っているのです。
つまり、私たちのあらゆる思いや言葉や行為や行動の源・みなもとにあるものを言っているのです。
それを「原罪」ゲンザイと言います。
生まれながらに負っている罪深さのことを言っているのです。
「罪」とは、その「原罪」が表にあらわれたものに過ぎません。
私たちがときどき罪を犯すから罪深いのではなく、
常に罪深いから、ときどき罪を犯すのです。
その生まれながらに負っている罪深さが、
思いとなって言葉となって行為や行動となって、
自分にたいして、人にたいして、神にたいして罪を犯してしまうのです。
私たち人間は、この世界を造られた創造主によって、
素晴らしいものとして、なに不自由のない存在として創造されたのです。
人間は、神の姿にかたどられて造られました。
神すなわち創造主のもとで、
その神を知り、神と自由に交流し、神をあがめ、神に守られ、
創造主なる神に従う存在だったのです。
しかし、神の被造物である、神の作品である人間の始祖・アダムが、
エデンの園にある善悪を判断する木の実を、取って食べると必ず死ぬから、取って食べるなと命じられていたのに・・・。
創造主なる神の命に背いて取って食べたため・・・・。
神の怒りにふれ、地に落とされたのです。
それ以来、人間には死が入り、労苦して生きなければならなくなったのです。
罪人として地上で生きなければならなくなったのです。
キリスト教が言う「罪の赦し・つみのゆるし」とは、
私たちがときどき犯す過ちのゆるしではなく。
もっと根本にあるものを言っているのです。
多くの人が自分が犯した過ちに苦しみもがいています。
自分を過ちに走らせた・・・、
それには原因があること、
それを明らかにしなければ、
苦しみから解き放たれることはできません。
罪について、罪の赦しについて明らかにするものこそ、
イエス・キリストの十字架の死による贖いあがないの出来事なのです。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事なのです。
「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章23〜24節・口語訳聖書)
なぜ神のひとり子イエス・キリストは人としてこの世界に来られたのでしょうか。
キリストとはメシア・救世主・救い主のことです。
救い主・キリストがこの世界に生まれ来られたということは、
この世界は、神の目から見て堕落していることをあらわしているのです。
私たちが罪深さから逃げることも救われることもできない状態でなかったなら、
救い主が来られる必要などないのですから。
イエス・キリストの十字架の出来事は、
神のひとり子イエス・キリストは神であられるのに、
私たち人間のために、苦境の中から抜け出すことのできなない人間のために、
苦境から救い出すために、
自らの命をおしまずささげられ捨てられたのです。
罪人を救うには、罪の無い者が、罪人の身代わりとなって、
その罪を贖う(あがなう)しか方法はありません。
それはまさしく神の愛を示されたそのものです。
私たちがそれを受け入れ受けとめることによって、
その罪深さから解放されるのです。
私たちの罪をあがなうために、
人間としてもっとも重い刑罰である死刑を・・・して。
ご自身の命をささげることによって私たちの罪の代価を支払われた神のひとり子イエス・キリスト・・・。
自分の犯した過ちについて苦しみもがいている人は、
何が罪を犯させたのか、
何が自分をそうさせたのか、
その原因を明らかにすることによって、
再び罪を犯さないようになるはずです。
そしてその罪があがなわれたことを知ることです。
罪の体質から解き放たれたのです。
生まれながらの罪深さから解き放たれたのです。
イエス・キリストは言われます。
「わたしはあなたを罪に定めない。
これからは、もう罪を犯してはならない。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・8章11節・新共同訳聖書)
信仰とは、
自分の思うままに考え行動することではなく、
イエス・キリストに聞き従うことなのです。
「 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、
神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、
一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章17節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up: 31 December 2009.