心の飢え渇き



人は、言い知れない心の飢え渇きを持ってキリスト教会にやってきます。
心が満たされないのです。
しかし、その飢え渇きが、どこから来ているのかを、
教会は、正確に伝えているでしょうか。
生きる意味を、人生の意味と言ったものを。
それが、
人間に生まれながらに備わっている霊的な飢え渇きというものであることを。
私たち人間は、創造主なる父なる神によって創造されました。
それが理由なのです。
私たちを創られた創造主なる神は、
創造主なる神を仰ぎ見て生きることを、
父なる神との愛の対話に生きることを求めています・・・。
そうすることによってこそ、
私たちが、かたよりのない、より健全な暮らしを送ることができるのです。

「イエスは答えて言われた。
『もしあなたが神の賜物を知り、
また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、
あなたのほうでその人に求めたことでしょう。
そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。』」


「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出ます。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・4章・10節14節・新改訳聖書)

しかし、現代に生きる多くの人たちは、
探し求めているものが、
実は、創造主なる神へのまことの渇きであることを知らないし、
気付かず、見い出すことはありません。

それどころか、神は、ないがしろにされているのです。
軽んじてはならない存在を軽んじてさえいます。

現代に生きる私たちは、自分の可能性というものを信じています。
自分を信じて生きることが自己実現につながるのだと。
自分自身の内に意味や力を見い出そうと試みます。
それが言い知れない飢え渇きを生み出している原因だとは知らずに。
さらに、自然界の中に”力 ”を考えだし、
それを利用して、自分自身の波長と同調させることによって、
自分を生長させようと試みます。

パワースポットやスピリチュアルやセラピーなどがそうなのです。
それらはすべて、神を軽んじた、人間崇拝の何ものでもないのです。

まことの霊でない霊は、
人間が考え出した瞬間に力を発動してきます。

キリスト教会の使命とは何でしょうか。
まことの生ける命の水をもたらすのは、
私たちの贖い主(あがないぬし)であるイエス・キリストであることを、
神の啓示の出来事、
イエス・キリストの十字架の出来事を説き解き明かすことよって知らせなければならないのです。
それが教会の使命なのですから。

心が満たされたより豊かな暮らしを求める人にたいして、
キリスト・イエスにたいする飢え渇きこそ、
不安や混沌や混乱から抜け出すことのできる、
まことの飢え渇きであることを知らせなければならないのです。


北白川 スー

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Wrote up on March 07, 2014.