福音はリアルではない



キリスト教が言うところの ”福音 ”が、
私たちの日常の生活においても、人どうしの会話においても、
まともに話題に上がることがなく、
興味にさえ成りえない現実があります。

キリスト教がマイノリティーな、少数派のこの日本においては、
福音がすべての人にたいしてリアルなものに成り得ていない証拠なのです。
それが少数派に甘んじている原因なのです。

福音が、標準的なものとして、
まともに、話題に上がる会話に成り得るものなら・・・。
それは、福音の意味と内容とを知っているということですから、
決してキリスト教は少数派にはならないでしょう。

日本のキリスト教が、少数派から抜け出すには、

多くの人が、福音の内容と意味とを知っていること、
キリストの福音がスタンダードであること、
知らなければ、決してリアルなものにはならないのですから。

つまり、福音が標準ではなく、
情報源としてでもない今日の現実を変える必要が生じるのです。
必要なのは、福音の本当の意味を明らかにすることだけなのです。

ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事の、
内容と意味とを明らかにすることだけなのです。

まずは、クリスチャン自身が、
福音にたいして問題意識を持つことから始めなければならないかもしれません。

聖書・バイブルは次のように指摘します。
「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章11節・新共同訳聖書)

「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章13節・新共同訳聖書)

「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章10節・新共同訳聖書)

「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。
聞いたことのない方を、どうして信じられよう。
また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章14節・新共同訳聖書)

福音が、日本人にとってリアルなものにならないということは、
終わりへと向かって、どんどんと時が過ぎている中で、
明日への希望を逃していると言っていいのです。

福音に気付かずにいることによって、
私たちが生きて行く上での、
本質的なことが置き去りにされているなら・・・。
そんな不幸なことはないのです。

福音を知らないということは、
救いではなく、日々、不安が増していることをあらわしているのです。


北白川 スー

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Wrote up on July 01, 2014.