あえて福音を外しました
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福音を解き明かさない福音は、
福音ではないことは明らかですが、
あえて福音を外すとしたら・・・。
どのように短い、また長いメッセージがあったとしても、
イエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とを解き明かさないなら・・・。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事を、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の内容と意味とを解き明かさないとしたら。
”キリストの愛 ”を、
人間同士が互いに愛し合うことをすすめることを、
親が子にたいする愛や、男女の恋愛や結婚や、
人間同士の愛などを説明の道具として語ろうとするなら・・。
人間の愛の中に希望を見出そうとするなら・・・。
それは、まことのキリストの愛を解き明かしていることにはならない。
イエスは語っている。
「あなたがたに新しい掟を与える。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、
それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、
皆が知るようになる。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・13章34〜35節・新共同訳聖書)
”わたしがあなたがたを愛したように”とイエスが語っているのは、
まぎれもなく、
イエス・キリストの生と死と復活によって備えられた救い・・・。
神の怒りの裁きからの救いの行為・わざなのです。
私たちを神の怒りの裁きから救いだすために、
キリストは、ご自身の命をささげられたという出来事こそ、
キリストの贖罪の出来事、
ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業なのです。
神でしかできない決断と態度の決定なのです。
私たちを、神の裁きから救うために・・・。
しかし、キリストの十字架の出来事を解き明かさず、
福音を語ろうとするなら・・・・。
「キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、
わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、
ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。
あなたがたがこんなにも早く、
あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、
違った福音に落ちていくことが、
わたしには不思議でならない。
それは福音というべきものではなく、
ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、
キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。」
(新約聖書・ガラテアの信徒への手紙・1章4・6〜7節・口語訳聖書)
それが1パーセントの理由だとしたら。
日本のクリスチャンがいまだに少数派に甘んじている理由だとしたら。
私たちは神から救われなければならないのです。
しかし、救ってくださるのも神ご自身なのです。
やがて来る、必ずやってくる神の怒りの裁きから救ってくださるのが救い主・キリスト・イエスなのです。
北白川 スー
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on February 11, 2013.