神の裁きの日は近い
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キリスト教の使徒信条の一節に次のような言葉があります。
日曜日の礼拝のとき、
礼拝に集まった人たちが、必ず一緒に言いあらわす言葉です。
「・・・かしこより来りて、
生ける者と死ねる者とを審きたまわん・・・。」
イエス・キリストが十字架にかけられ死刑となり、
葬られ、三日の後に死人のうちから復活し、
天にのぼられました。
そのイエスが再びこの世界に来られるとき、
生きている者と死んでいる者とを、
さばかれるのです。
この世界には終末があり、
その時こそ、イエス・キリストが再びこの世界に来られるとき、
そして、最後の審判のときなのです。
キリスト教が言う ”救い”とは、
まぎれもなく、この審判・裁きからの救いのことなのです。
天国へか地獄へかの・・・。
地獄をまぬがれることが救いなのです。
神のさばきの日には、
お金や財産など何の関係もありません。
守ってはくれないのです。
14・・「 主の大いなる日は近づいている。
極めて速やかに近づいている。
聞け、主の日にあがる声を。
その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる。」
18・・「 金も銀も彼らを救い出すことはできない。
主の憤りの日に、地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。
主は恐るべき破滅を、地上に住むすべての者に臨ませられる。」
(旧約聖書・ゼパニヤ書・1章14・18節・新共同訳聖書)
神のさばきには、お金や地位などでは守ってくれないのです。
神のさばきの時は必ず来ます。
その日、その時、自分を救うことのできる方法は・・・、
それは何でしょうか。
その時では、もう、すでに手おくれかもしれません。
その時までに、
今までの生き方を完全に変えていなければならないからです。
自分の生き方や考え方ややり方ではなく、
神の言葉に聞き従う生き方以外にはありません。
主なる神の裁きの日を前にして、
今までの生き方を変えなければなりません。
つまり、創造主なる神に立ち返ること。
私たち人間は、神の創造物だからです。
私たち人間は神の作品だからです。
神に立ち返るのは、
早ければ早いほど良いのかもしれません。
その時では遅いのです。
「 なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならないからです。」
(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章10節)
主なる神に聞き従う信仰は、
人を積極的な営みへと変革するのです。
北白川 スー
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Wrote up on 12 October 2011.