では、なぜ、キリスト教なのか



ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事が、
福音の内容であり、福音そのものなのです。

福音は、すべての人が対象なのですが、

日本のキリスト教は依然として少数派に甘んじています。
全人口比にして1パーセントと言われています。
ギャロップの統計調査では、
かつては教会の礼拝に行っていたが今は行っていないクリスチャンや、
自称クリスチャンまで含めて、
6パーセントだそうです。

実際は、プロテスタントの教会の礼拝に集まる人たちは、
平均して30名だそうです。
全国で約8000のプロテスタントの教会が建っています。
カトリックやプロテスタントのクリスチャンは、
1億2千万人のうちの30〜40万人ということでしょうか。

日本のクリスチャンは、また教会は、
多くを望まず、おとなしく今を受け入れているのでしょうか。

福音は外れることなく、
すべての人に届けられなければならないものであるにもかかわらず・・・。

聖書・バイブルは次のように語っています。

「それから、イエスは言われた。
全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、
信じない者は滅びの宣告を受ける。」

 (新約聖書・マルコによる福音書・16章15節・新共同訳聖書)

「一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、
彼らの語る言葉が真実であることを、
それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。」

 (新約聖書・マルコによる福音書・16章20節・新共同訳聖書)

なにごとにおいても目標とかビジョンというものは大切だと言われます。
そして日々の積み重ねが・・・・。

そこまで届くような道筋を明らかにすることが、
将来の展望とか、
遠くまでの見通しとか、
見渡すことのできる道筋とかを、
具体的に明らかにすることが・・・・。

どうすればビジョンを目標を完成させたり達成させたりできるのか、
具体的に、どのようにすればいいのか明らかにしなければならないのです。

「私はすべてのことを、福音のためにしています。
それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第1の手紙・9章23節・新改訳聖書)

「だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、
空を打つような拳闘もしません。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第1の手紙・9章26節・新共同訳聖書)

日本のキリスト教は、
では、なぜ、キリスト教なのか・・・・ということを明らかにしているでしょうか。

キリスト教のビジョンとはなんですか。
どうも日本のキリスト教は、
社会にたいして、
ハッキリとした姿勢を、
影響力を持っていないように思えます。

目標のはっきりしないような走り方をせず、
ゴールがどこかわからないような走り方はしないようにしたいものです。


北白川 スー

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Wrote up on April 19, 2013.