主イエスの来られる日
やがて、イエス・キリストが再びこの世界に来られる日・・・・。
それがいつなのか分かりませんが、必ずやって来る日・・・・、
イエスの再臨とも来臨とも呼ばれる日です。
それは同時に、神の怒りの日・・・裁きの日なのです。
いま生きている人も、かつて生きていた人も、すべての人間が・・・・、
この世界を造られた、私たち人間をも造られた創造主なる神の裁きの前に立たなければならないのです。
その日は、この世界において、私たちが考える知る以上に最悪の日になるのです。
それは同時に、御国の完成・・神の支配の完成と、救いの日なのです。
この世界を造られた創造主なる神は、この世界を素晴らしいものとして造られたのですが、
最初の人間・アダムがその神に背いてしまったため、
御国は未完成のままになっているのです。
もともと救われた者として人間は造られたのですが、
その救いを、人間自らが、神にたいして罪を犯すことによって、神の怒りにふれ、救いは遠いものにしてしまったのです。
クリスチャンがよく言葉にする救いとは、
すなわち、この神の怒りからの救いなのです。
イエス・キリストこそ、やがて来るであろう、
神の怒りから救ってくださるメシア・救い主なのです。
私たちは、この神の怒りから救われなければならないのです。
ところが、救ってくださるのは神ご自身なのです。
イエス・キリストこそ、
やがて来る神の怒りから救ってくださるメシア・救世主なのです。
ひとりの人がすべての人のてために、罪人として十字架にかかり死をもって、すべての人の罪をあがなってくださり、
死人のうちから復活することによって、
救いを確かなものとしてくださったという出来事は、
その神の裁きの日から私たちを救うために、
あらかじめ、その神の怒りを、ご自身の身に受けられたのです。
ですから、イエスが私のために、私に代わって、
神の怒りと、神の裁きとを受けてくださったと信じるなら・・・・・。
あなたは救われるのです。
どのような人であっても、いかなる人間も、
イエス・キリストによって裁かれなければならないのです。
イエス・キリストを、だれひとりとして避けることは出来ません。
すでにその出来事は2000年前に始まり、
世界の終末に終わろうとしているのですから。
「 わたしをつかわされたかたのみこころは、
わたしに与えて下さった者を、
わたしがひとりも失わずに、
終りの日によみがえらせることである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・6章39節・口語訳聖書)
この世界を造られた神が、
そのひとり子であるイエス・キリストを、
人としてこの世界に生まれさせ、
十字架による死と、葬りと、死人のうちから復活させられたという出来事において、
” 生と死と復活 ” というものによって備えてくださった救いは、
イエス・キリストへの信仰を通して実現されるものなのです。
そして、私たちがどのようにして罪を赦され、
罪深さから解き放されたかを明らかにするものなのです。
そうであってこそ、
私たちは、この世界を造られた創造主である神・・・、
すなわち、裁き主である神の前に、
神にとって正しい者として立つことができるのです。
北白川 スー
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Wrote up: 13 September 2009.