福音と言えば



これから書き示そうとしている事柄は、
日本において、広く受け入れられるものではありません。
受け入れられるものであれば、キリスト教の布教も進みます。

福音と言えば、
神の怒りの裁きからの救い・・・・を意味しています。
神の怒りの裁きを、
私たちに代わって、
イエス・キリストが身代わりとなって引き受けてくださった・・・・。
この出来事こそ、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ、
・「あがないのわざ」・という、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事なのですが・・・。

・・神の怒りの裁きからの救い・・、
このテーマこそ、聖書全体を通しての中心的な概念なのです。

神の怒りの裁きを受けなければならないほど、
私たちは、罪深く堕落していることを意味しているわけです。

救い主・イエス・キリスト・がこの世界に生まれ来たということは、
この世界が、神の目から見て罪深く堕落していることを意味します。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)

この日本においては、
以上のような概念は、まったく受け入れられません。

人々は等しく罪深い存在なのだとでも言えば、
受け入れられないと、拒否されることでしょう。

自分を信じて、
自分の可能性を信じて生きることが素晴らしいことであり、
追い求めるものでもあると。

キリスト教の信仰は、
人間とは、
基本的に盲目で弱く愚かな存在なのだという認識に立つことから始まります。
そうしなければ、そこから抜け出すことなどできないのですから。

しかしながら、クリスチャンであっても、
自分の弱さ愚かさを認めることが出来ず、
苦しみ続けている方も多いものです。


北白川 スー

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Wrote up on January 18, 2018.