依然として進まない福音宣教
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長い福音宣教の歴史が存在する日本です。
その多くは、欧米の宣教団体によるものです。
それはそれは長い宣教のアプローチがあるものの、
依然として、その成果としての人間の獲得には至っていません。
第二次世界大戦が終り、欧米各国から多くの宣教団体が日本を目指した歴史もあります。
しかしながら、現時点においても、
欧米の宣教団体から受け継がれた日本の教派・教団・教会にあっても、
依然として進まないのが福音宣教の実態なのです。
日本のキリスト教は、依然として少数派に甘んじています。
礼拝に集まる信徒の数は、人口比にして1パーセント未満なのです。
信徒の高齢化が進むなか、礼拝に集う信徒の数は、減少傾向を示しています。
欧米による宣教の手法は、
当然にして、欧米の文化的伝統に属し、根ざしたものと考えられます。
宣教の結果が出ていないということは、
欧米の手法が
日本人の本質的な性質や性情・性状に合ったものではないと考えるのが正常かもしれません。
私たち日本人の、日本人独特な・・・と言ったほうが正しいかもしれません。
日本人の行動や行為と思想の習慣とを考慮してこなかった結果なのかもしれません。
いや、考慮したがゆえに宣教が進まなかったかもしれません。
決定的なものとして、
聖書・バイブルが語るのは、人間の本性に属し基づいたものです。
しかし、明確な「人間の本性」という概念は、日本人の眼中には存在しないのです。
本性、すなわち、誕生から死にいたる全人生を通して、
人間が共通して生まれながらに負っている、
ある特定の性質という概念は日本人には共有されていません。
性善説という概念は、時として頭をもたげてはきますが。
日本人の特質としては、
ものの考え方が古く、新しいものを受け入れようとする態度が無いわけではなく、
新しもの好きだし、容易に受け入れ順応さえします。
しかしそれなのに、キリスト教信仰は広まらないのです。
何が福音宣教を妨げているのでしょうか・・・・・。
北白川 スー
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Wrote up on July 07, 2019.