捉まえられず消えていく記憶
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私たち人間は、神の姿に似せて創造されたと聖書・バイブルは語っています。
「 神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、
男と女とに創造された。」
(旧約聖書・創世記・1章27節・口語訳聖書)
しかし、私たち人間は、
神によって造られた存在・被造物だとは思いもしない。
神の作品としての人間という記憶は、
消え去ってしまったかのような、
空白の過去に埋もれてしまった、
とらえられず消えていく記憶なのです。
自分の幸せだけを追求しているが故に、
捉まえられず消えていく記憶があるのです。
私たち人間は神の似姿に創造されたのです。
それも、目的を持って創造されたのです。
しかし最初の人間が創造主なる神に背いたことによって、
楽園を追放され、
人生には死が入り、
地上を労苦してさ迷い歩かなければならなくなったのです。
それが私たち人間の歴史なのです。
しかし多くの人は、そのようには理解してはいません。
それどころか、自分の可能性を信じて生きることが素晴らしいとさえ自分を誇っています。
神によって目的を持った存在として造られたとは思いもしない。
その記憶は、消え去ってしまったかのような、
空白の過去に埋もれてしまったのです。
捉まえられず消えていく記憶なのです。
創造主なる神の栄光をあらわす存在こそ被造物としての人間の存在理由なのです。
しかし、その記憶を呼び覚ます出来事があります。
それが、イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事なのです。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事なのです。
創造主なる神にたいする罪と、
その罪からの赦しという・・・・・。
そして、神の怒りの裁きからの救いという・・・・。
「 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、
一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への・5章19節・新共同訳)
福音は届いていますか、と問われても。
福音が語られていなければ届くことはない。
神の作品としての存在の記憶を、
過去の記憶の中に埋もれさせてきたのだから。
今や、神に聞く耳さえ失ってしまった、
イエス・キリストに出会う機会さえ失ってしまったのだから。
北白川 スー
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Wrote up on 28 July, 2012.