十字架と復活・・よみがえり


 キリスト教では、イエス・キリストの十字架による死と、

 イエスが死人からよみがえった・・・復活が語られます。

 イエスの死と、葬りと、復活というものには、

 互いに密接な関係があり、かつ、

 各々に重要な意味があるわけです。

 イエスが罪人として十字架刑により死刑され、

 墓地に葬られて、三日の後に死人のうちから復活したと聖書・バイブルは語り伝えています。

 キリスト教では、

 イエス・キリストのよみがえりを信じて、

 信仰をもってイエス・キリストの復活を語り伝えているのです。

 つまり、イエス・キリストは ” 今も生きて働いておられる ” と・・・・・・・。

 今も、私たち人間に深くかかわっておられるのです。

 この復活という出来事も、キリスト教の信仰において重要な要素となっているのです。

 しかし、どうしたことか、最近の日本の教会ではあまり語られないようですが・・・・。

 イエス・キリストが罪人として十字架刑により死んだということは、

 古い人間が死んだという意味があります。

 罪の体質の人間が死んだということ。

 人間には、罪の報いとして死が与えられているのです。

 私たちの本性的な・・生まれながらに負っている罪の体質を、

 イエスご自身がになってくださり、それを死にわたしたという意味なのです。

 イエス・キリストは、ご自身の命と引き換えることによって、

 罪が満ち満ちている世界を終わらせたになったのです。

 そして、イエス・キリストと共に、新しい人間が復活したのです。

 ですから、復活には、

 ” 死をへて生命にいたる ” という意味があります。

 死で終わったのでは、新しい創造はありません。

 キリスト教における復活の信仰とは、

 イエス・キリストの十字架による死と復活において、

 十字架において復活をなしとげられたイエス・キリストを、

 新しい生命を作り出された神として、

 礼拝の対象に、信仰の対象にしているのです。

 人間は一度生まれるだけでは不十分なのです。

 もう一度生まれなおさなければならないのです。

 キリストを信じる者には、

 新しい命が、新しい創造が与えられているのです。

 罪の中にはいません。

 まったく新しくされているのです。


 「わたしもあなたを罪に定めない。

 これからは、もう罪を犯してはならない。

 わたしは世の光である。

 わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、

 命の光を持つ。

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・8章11〜12節・新共同訳聖書)


 クリスチャンとは、イエス・キリストと共によみがえらされている存在だと言っていいのです。

 古きは過ぎ去り、すべてが新しくなったのです。

 しかし・・・・・私たちが、死と復活というものに行き着くには、

 まず、

 十字架の下に、裁かれる者として立っている自分自身という姿を見い出さなければなりません。

 そして、自分自身の罪という問題を見つめ、

 罪の報いは死なのです。

 ですから死を経験しなければなりません。

 それがサクラメント・・聖礼典としての洗礼の意味なのです。

 十字架の中に命があることを信じなければならないのです。

 新しい創造がなければ復活とは言えません。

 元の状態に戻ることが復活ではありません。


北白川 スー

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Wrote up: 16 July 2009.