あなたにとって福音とは何ですか



彼ですか、彼女ですか、家ですか、車ですか、お金ですか、
子供の学校のことですか、将来のことですか。
仕事ですか、経済ですか、保険ですか、ダイエットですか、年金ですか、地位ですか、・・・・。
9条のことですか、原発のことですか・・・・。

あなたにとっての福音とは、
いつも頭から離れず、気になっていることですね。
あなたにとって、もっとも関心が高く、もっとも大切なものだと信じていることですね。
あなたは、それが手にはいれば幸せになれると信じています。

それは、あなた自身の問題ではありませんか。
それは、あなたの体面とか面目とか名誉とか栄光とかプライドなどと呼ばれるものです。
自分の思う通りになることですね。
それらは、あなたの考えが、やり方が、
まわりから正しいと認められなくては成り立ちません。

あなたは、そのために苦しみ、もがいているはずです。
自分の思う通りにならないから、負けたくないから、
もっとも恐れているものは、
まわりから評価されず、
ダメだとか落ちぶれたと見られたくないからです。

キリストの教会が語ろうと、また伝えようとしている福音とは、
決してそのようなものではありません。

イエス・キリストが、あなたと共に・・・・・、

あなただけではありません、
すべての人々のために、
ひとりひとりのあなたを愛し、
共におられることを伝えようとしておられるのです。

わたしたち日本人の特性は、
自分自身が正しいと認められることを、
名誉や体面や面目が保たれることが大切なことだと考えているはずです。

ですから、体面や面目がズタスダになっていても、
それを保とうと、必死にもがき苦しんでいるのです。

体面のために、自分の正しさを打ち立てるために命をも捨てようとします。

日本人にとってキリストの福音が理解できないのは、
まさしく、日本人の立っているところの違いなのです。

自分の義のために立っているのです、
決して正義のためではありません。

キリストの教会が伝えようとしていることがらは、
イエス・キリストが、私たちのために命をささげられた出来事なのです。
神の正しさ、神の愛を伝えようとしている出来事なのです。

「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、
不信心な者たちのために死んで下さったのである。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。
善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
しかし、まだ罪人であった時、
わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、
神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、
なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、
御子の死によって神との和解を受けたとすれば、
和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
そればかりではなく、わたしたちは、
今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章8〜11節・口語訳聖書)

「神の義は、その福音の中に啓示され、
信仰に始まり信仰に至らせる。
これは、『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章17節・口語訳聖書)

イエス・キリストが十字架に死なれたのは、
私たちが正しいからではありません。
その逆なのです。
弱く愚かで悪にまみれた私たちのために、
私たちに代わって、神の怒りの裁きを受けてくださったのです。

私たちを地獄から救い出すために・・・・・。

私たちは、理解されたいと願うよりも、
愛されていることを知らなければならないのです。

弱く愚かで悪にまみれた私たち・・・・・、
しかしながら、
日本人にとって自分の義がもっとも大切なものとして認識されています。
弱く愚かで悪にまみれた私たち・・・・・、
とても、とても、認めがたいことなのです。


北白川 スー

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Wrote up on January 01, 2016.