人は、不満と不安にいらだっている



人は、今に満たされず、
確かなもの、信じられるものを手にして、
幸せになりたいと思っています。
そして、喜びに満たされたいと願っているはずです。

しかし、
それがいったい何ものなのか、
想い描くことも、見ることもできないでいます。
だから、
いまだかつて聞いたことのないものを捜して求めているわけです・・。
いろいろと試してはみますが、
どれもこれも、自分の心を揺り動かすものではありません。

それは、正しくは、おおい隠されているものと言っていいでしょう。

ならば、その人にとっての、
人生における救いとはなんでしょうか。
人生における救いの言葉とはいったい何なのでしょうか。
心にひびく福音とはいったい何ものなのでしょうか・・・・。

その人が今の人生において最善だと思っているものに勝るもの、
その人の生と死にかかわる救いの言葉とは、いったい何なのでしょうか・・・。

そのとき、イエスは言われました。
「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから。」
「"Repent, for the kingdom of heaven is at hand!"」

(新約聖書・マタイによる福音書・3章2節・新改訳 ・・New King James Version)

何らかの経験をして、とても近寄りがたい存在と価値観に接し、
そして、知り、そのきわめて高い存在と価値観に、
少しでも近づきたいと思う心か開かれ与えられるとき。
いまだかつて踏み込んだことのないところに自らの身を置いたとき、

それが、イエス・キリストとの出会いなのでしょう・・・・。
それは、かたよった飛躍しすぎだという意見もあります。

自分には知らないことがいっぱいあることに素直に気付くことができれば・・・。
知らないことから来る不安からすぐにあきらめることをせず、
好奇心をかきたてられて、喜々としてそれを知ろうとするならば。

もっと早くイエス・キリストに出会っていれば良かったと思うだろうし、
イエス・キリストをもっと知りたいと思うようになるでしょう。
人がイエス・キリストと出会うことによって、
その人の人生は、
キリストなしに充実した暮らしを送ることができなくなるように変えられるのです。

しかし、この日本では、「神」とか「教会」とか「イエス」とか「キリスト」というひびきは、
私たちの暮らしから縁遠いものとして、
必要のないものとして、耳に入ってくるのが現状なのです。

聖書・バイブルは、
キリストの福音は、私たちの心にひびくものだと語っています・・・。

しかしながら、
日本の多くの人たちの耳は、依然として、
キリストにたいして閉ざされたままなのです。

日本のキリスト教の教会が、
キリストの福音を説き、解き明かすなら・・・・。

キリストの福音、すにわち、
イエス・キリストの十字架の出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)のわざという出来事を。

天地万物を創造された、私たち人間をも造られた、
創造主なる「主」なる神が、
そのひとり子イエス・キリストの、
生と死と葬りと復活において備えられた“救い”について、
その内容と意味とが説かれ解き明かされるなら・・・・・。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on May 23, 2015.