信じる者と信じない者との違い
神を信じているとか信仰するとか、
その様子が何かとあわれで、
変わった者のすることのように見えるものです。
神を信じるなんて、とてもおろかであわれなものなのです。
神の存在を信じ、その存在を間近に感じ取っているかのように話す人の話を聞くともなれば、
それは、なんとも見せかけで、そこに満たしているものも、価値ある内容のものも何もないのです。
だから、反発すら覚えるのです。
このような感想こそ、神を知らない者の感想であり、
これが、信じる者と信じない者との違い・・・なのです。
何が、何によって神の存在を知ることになるのでしょうか・・・。
神の存在を身近に感じ取る体験を・・・、
超神秘的な体験をした者だけが、
神とかキリストとかを口にする者になるのでしょうか。
そうだとしたら、神の何たるかを知らない、また理解していない人にとって、
とうてい理解しがたいものなのです。
その神を知る出来事として、
そこにイエス・キリストの十字架の出来事があるのです。
神を知るような、神が分かるような超神秘的な体験をしたとしても、
具体的な神の意図というものは、
イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)の出来事の内容と意味とを知って初めて、
神が私たち人間に何を望み・・・、
何を求め・・・、
何を伝えようとされているのかを知ることができるのです。
この世界を造られ、また私たち人間をも造られた神と、
私たち人間との関係を、
その関係が正常ではなく壊れてしまっている関係を、
回復するために何がなされたのかということを・・・・。
「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up: 10 January 2010.