本当の幸せな生き方を忘れてしまった人間たち
誰しも、幸せな人生を送りたいと思うものです。
幸せな生き方を見つけるために、
大切な人に、家族に、趣味や遊びにそれを求めたりします。
自己実現することが幸せにつながるとも考えます。
自分が変われば新しい世界が見えてくると信じて、
新しいスキルに、自己啓発にそれを求めたりもします。
人間は、豊かさが幸せをもたらしてくれるものと信じましたが、
結局は、多くの取り返しのつかない歪み(ひずみ)を生み出してしまったのです。
それが現実の私たち人間の世界の姿です。
本当の幸せな人生をもとめて、
どんな人生にしたいのかを考え、
持てるかぎりの力と知恵とを使って、
一生懸命やってきたのです。
しかし、私たちは、
本当の幸せな生き方を忘れてしまっていたのです。
私たち人間は、
この世界を造られた創造主なる神によって、
素晴らしい者として、
「 きわめて良いものとして 」 創造されたのです。
創造主なる神を知り・・父なる神を知り、
その神と自由に交流し、
あがめ、その神に従う存在だったのです。
しかしながら、この世界を造られた神の作品であるところの、
最初の人間・・アダムが、
父なる神に背いた結果・・・・・、
エデンの園にある善悪の知恵の木の実を、
” 取って食べると必ず死ぬ ” から取って食べてはならないと命じられていたにもかかわらず、
その命令に背いて、取って食べてしまったため、
神の怒りにふれ、地に落とされ
地はのろわれてしまったのです。
それ以後、人間は、一生、苦しんで生きなければならなくなったのです。
本当に幸せな生き方とは、
神と共にある暮らしであったのです。
主なる神は、今も生きて働いておられます。
私たちは、その存在をただ忘れてしまっているだけなのです。
神の指示に背き、言いつけに逆らい・・・・、
神の怒りをまねいてしまった私たち人間・・・・・、
だから、創造主なる神の怒りから救うために、
神は、そのひとり子イエスを、この世界に生まれさせ、
私たちに代わって、神の怒りをイエスの上に下し、
罪の贖い(あがない)をなされたのです。
このイエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とを知ることによって、
私たち人間は、私たちの父なる神の存在と、その愛とを、
再び思いおこすこととなるのです。
イエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とを知ることによって。
幸せとは、神と共にあるところからやってくるのです。
すなわちイエス・キリストへの信頼であり、
イエス・キリストに聞き従う暮らしの中にあるのです。
「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up: 12 November 2009.