万民救済・キリスト教は、すべての人を救うのか


 キリスト教の教えは、すべての人を救うことだと・・・。

 そのように思われているようですが、

 実は、そうではありません。

 たしかに、イエス・キリストは、すべての人の罪をその身に負い、

 死して罪を贖って(あがなって)くださったのです。

 ”ひとりの人がすべての人のために死んだ ”のです。

 聖書は次のように語ります。


 「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、

 すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・24章14節・新改訳聖書)


 神の福音・良き知らせは、

 イエス・キリストにあって世界のすべての人々に訪れたのです。

 そうであるからこそ・・・・、

 キリスト教は終末論に立っています。

 世界は終末へとひた走っているのです。

 世界は、必ず終わりの時を迎えます。

 終わりの日が来るとき、

 その日は、”刈り取りの日 ”でもあるのです。


 「また、人間にはただ一度死ぬことと、

 その後に裁きを受けることが定まっているように、」

 (新約聖書・ヘブル人への手紙・9章27節・新共同訳聖書)

 「なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、

 善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、

 それぞれ報いを受けねばならないからである。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章10節・口語訳聖書)


 終わりの日には、生きている人も、かつて生きていた人も、

 神の裁きの座の前に立たなければなりません。

 天国か地獄か・・・・。

 裁かれるのは神です。

 その時、神は、自らの民を選ばれるのです。

 ”ひとりの人がすべての人のために死んだ ”という出来事を信じた者だけが・・・。

 イエス・キリストの出来事を信じた者は天国へ、

 そうでない者は地獄へと・・・・。

 ですから、キリストの教会で、

 福音、良き知らせ・・・。

 すなわち、イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事が、

 すべての人に向かって解き明かされ、証しされなければならないのです。

 そのようにしてこそ、終わりの日を迎えることができるのです。

 天国へ行くのか、それとも地獄へ落とされるのか。

 それは、人間ひとりひとりの決断にかかっているのです。

 神は明確です。

 イエス・キリストを信じない者は、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事を信じない者の行き先は、実に明確なのです。

 わたくし北白川スーがネットを通じて、

 私的にネット上で福音を説いたとしても、それは、力を持たないのです。

 キリストの教会でこそ、

 イエス・キリストの十字架の出来事が解き明かされない以上、

 私的にネット上で分かりやすく福音を説いたとしても、

 福音は、力を持たないのです。

 キリストの教会で説かれてこそ力となり光となるのです。

 そのために、教会は、この世界に建っているのですから。

 人間が神に聞くということによってのみ、

 教会は基礎付けられているのです。

 本来的には、人が教会に期待するものではありません。

 人は教会に、さまざまな必要を訴えます。

 この日本では、どうも教会にたいして誤った理解が先走りしているようにも見えます。

 教会は、あくまで、神の啓示が語られるところであって、

 人間の必要を満たすところではありません。

 この世界を造られた創造主なる神の啓示を聞くことによってのみ、

 信仰者は支えられのです。

 日本のキリスト教の教会は、

 もっと、目的を明確にすべきです。

 私たち人間は神によって裁かれるのです。

 その裁きからの救いこそ、福音の本質なのですから。


北白川 スー

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Wrote up on 09 December 2010.