少数派のクリスチャン
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静まりかえって目立つこともなく、
全人口の1パーセントにも満たない信徒が、
礼拝に集う、少数派なのがクリスチャンです。
クリスチャンであること自体、少数派であることの証明なのでしょうか。
信頼できる精度の高い統計調査の数値があります。
この日本には、洗礼を受けたか受けないかを問わず、
洗礼の有る無しを問わず。
キリスト者だと、クリスチャンだと、
キリスト教に信仰しているとする人たちが、
自称クリスチャンたちが、
6から7パーセント存在していることです。
若者のほうが数値は高く7パーセントを示しています。
現に教会につながりを持ち礼拝に出席している信徒や、
かつては教会に所属していたが、
何らかの理由で、今は教会から距離を置き、離れている人たちや、
もともとから教会には、つながりを持たず、
教会に出入りしたことのない自称クリスチャンたちなのです。
これらの状況から言えることは、
6〜7パーセントの人たちを組織化することの教会の力の無さ、
また離反者を生み出した問題と責任、
さらに、自称クリスチャンたちへのアプローチの弱さなどが浮き彫りになります。
7パーセントの人たちが教会につながりを持ったとしたら、
少なくとも、社会にたいして影響力を持つことになるでしょうし、
キリスト教界をも、キリスト教をとりまく状況をも、
ドラマチックに変えることになるでしょう。
現実の数値として、
キリスト教の教会の日曜日の礼拝に集まっているクリスチャンたちは、
カトリックやプロテスタント、キリスト教的な宗教を含めても、
まぎれもなく全人口の1パーセント未満なのです。
日本の社会の中で、
なぜ、キリスト教の布教は進まず、
福音は広まらないのでしょうか。
多くの日本人は、さまざまに、
さまざまな必要に迫られています。
その必要を満たすことのできる不思議なメッセージは、
キリスト教の教会からは、もれ出てはきません。
少しずつでも、もれ出てきているのなら、
冷静な頭を持っていたなら、
不思議とも、変わっているとも思わず、
奇跡の物語に耳を傾け、受け入れることも出来たでしょう。
極論すれば、
不思議なメッセージ自体が語られていないから、
教会から、もれ出てくることもないのです。
罪の赦し(ゆるし)とか、
神の裁きからの救い・・・・とか。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事・・・・とか。
イエス・キリストの、生と死と葬りと復活という出来事・・・・とか。
それらの事柄は、日本人にとって、
初めて聞くテーマだということになるかもしれません。
初めて聞くテーマだということは、
裏をかえせば、1パーセントであることの証しなのです。
キリストのメッセージは、
信じがたく不思議なメッセージなのです。
イエス・キリストは、その生涯の中で、
多くの人たちにたいして奇跡を行われました。
病いを癒し、死人を生き返らせ、
悪霊につかれた人から悪霊を追い出されました・・・。
今もそのわざは教会に生きています。
なぜなら教会は、
今も生きて働く、イエス・キリストの教会だからです。
その奇跡は、
今もイエス・キリストの名によって起きるのです。
これらすべての不思議は、すべて聖書・バイブルにもとづいているのです。
「 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。
主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、
その確かなことをお示しになった。」
(新約聖書・マルコによる福音書・16章20節・口語訳聖書)
「 一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、
それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。」
(新約聖書・マルコによる福音書・16章20節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on September 16, 2016.