信仰を持って20年



私がキリストへの信仰を持って20年の月日が流れました。
しかしながら、依然として、キリスト教は少数派のままです。
増えないのです。
どうしてなのでしょうか。
なぜに増えないのでしょうか。

私が、聖書を手に入れて30年、
福音に出会い、キリストに出会って洗礼を受けて20年。
しかしながら、依然として、キリスト教は少数派のままです。
なぜなのでしょうか。

正直なところ、聖書を手にしても、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事の、
内容と意味とを理解しなければ、
信仰に至るとは思えません。

それが、良き知らせ・福音なのです。

キリストの福音に、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事に、
十字架の出来事に出会わなければ信仰を持つことは無かったでしょう。

では、福音は、この日本において広く語られているのでしょうか。
十字架の出来事が知らされなければ、
解き明かされなければ、
聞くことがなければ、
キリストへの信仰は生まれません。

キリスト教の信仰の根本的なもの、
また、信仰者を支えることのできる根本的なものが、
語られているのでしょうか。
語られなければ信仰は生まれません。

キリスト教の教会において、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事の、
内容と意味とが説かれ、
解き明かされなければ、
信仰は生まれないのです。
心が解き放たれることは起きえません。

「かえって自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、
へりくだって、死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで従順でした。」

(新約聖書・ピリピの信徒への手紙・2章7〜8節・新共同訳聖書)

「キリストは人としての性質をもって現われ、 自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われたのです。」

(新約聖書・ピリピの信徒への手紙・2章8節・新改訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on May 09, 2017.