教会が輝いていなければ、人は引き寄せられない



町のキリスト教の教会は、輝いているだろうか。
輝いていなければ、人は惹きつけられない、
引き寄せられないものなのだ。
活気に満ちているだろうか、
歌声に満ちているだろうか。
福音を手にして、その顔は明るく喜びに満ちているだろうか。

「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、
神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。
こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」

(新約聖書・使徒言行録・2章46~47節・新共同訳聖書)

聖書・バイブルは、教会の姿を次のように語っている。

・・喜びと、まごころとをもって、食事を共にし、神を賛美し
すべての人に好意を持たれていた。
そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。・・

現実には、日本の教会は、
聖書の記述からかけ離れていると言っていい状態にある。

礼拝の式次第はプログラムされている。
そうすることが決まりのように型にはまっている。
形にはまっていなければいけないようなプログラムが主流である。

アットホームは良いとしても、
開かれているとは言い難い。

日本のクリスチャンはマイノリティー少数派である。
依然として、多くの人たちが福音には接していない。
福音から遠いところに放置されている。

野放しのまま、何の手当もなされず。
彼らには手当が必要なのだ・・・。
そのままほうっておいてはいけないのだ・・・・。

教会の空気はどうだろうか。
暗く打ち沈んでいる・・・・。
信徒さんたちには喜びが見られない・・・。

御霊の支配はあるだろうか。

「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、
罪と死との法則からあなたを解放したからである。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・8章2節・口語訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on January 09, 2019.