霊的に生き返る


 霊的に生き返る・・なんとも不可思議なひびきのあるテーマです。

 「霊的・レイテキ」・・教会ではよく使うキーワードです。

 ” 霊 ”とは、霊はからだを生かすもの、

 人間の生命は神から受けるもの、

 被造物としての人間は、

 神から吹き入れられた霊によって創造主なる神と結びついていると聖書・バイブルは語ります。

 ですから、霊的に生き返るとは、原点に戻ると言えばいいでしょうか。

 かつては、この世界を造られた創造主なる神、

 父なる神とともにあった人間・・・。

 神のもとで何不自由なく生かされていた人間・・・。

 しかし、その神に背いた結果、

 最初の人間であるアダムが創造主なる神に背いた結果・・・、

 人間は地に落とされ、地は呪われ、

 人間はひとしく労苦して生きていかなければならなくなったのです・・・。

 人間はだれひとりの例外もなく、

 生まれながらに罪深さという性質を背負って生まれてくるようになったのです。

 その生まれながらに負っている罪深さという性質が、

 それを「原罪・ゲンザイ」と言います。

 その原罪が、生まれながらに負っている罪が、

 思いとなって、言葉となって、行為や行動となって、

 自分にたいして、人にたいして、神にたいして罪を犯しているのです。

 その姿こそ、さまざまに問題を起こしてしまう、現実の私たちの姿そのものなのです。

 創造主なる神から離れてしまった人間は、

 導き手を失って、さ迷い歩かなければならない存在に落ちてしまったのです。

 しかし、キリストへの信仰によって、

 贖い(あがない)主である、救い主であるイエス・キリストへの信頼によって、

 イエス・キリストを自分の人生をガイドしリードしてくださる存在として信頼するなら、


 「わたしは父にお願いしよう。

 そうすれば、父は別に助け主を送って、

 いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

 それは真理の御霊である。

 この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。

 あなたがたはそれを知っている。

 なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・14章16〜17節・新改訳聖書)


 キリスト教的な言い方をすれば、

 聖霊の油注ぎを受け、

 聖霊に満たされ、霊的に生き返り、救いを得、

 すべての人間的な縄目から解放されるのです。

 私たち人間は実にかたくなです。

 自分の考え方ややり方にかたくなに立とうとします。

 自分にたいして疑いを持つことすらしません。

 だから、いつまでたっても解放されないのです。

 自分が自分自身を縛っていることに気づかず・・・・。

 なぜイエス・キリストは十字架にはりつけられ、

 死刑となり、葬られ、三日の後に死人のうちから復活・よみがえったのか・・・・。

 その内容と意味とを知り、また理解したとき、

 創造主なる神は豊かに聖霊を注いでくださるのです。


 「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、

 あなたがたにすべてのことを教え、

 また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・14章26節・新改訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up: 27 June 2010.