 
何かが抜け落ちていることに気付かされて
 
- 
- 
教会でクリスチャン相手に話しをしていても、
 地域社会や職場でノンクリスチャンを相手に話しをしていても、
 話題が・・・・、
 キリスト教にかかわることであっても、
 キリスト教にかかわらないことであっても、
 
 いつも、その話しの中心の何かが、
 最も大切な何かが抜け落ちていることに気付かされます。
 
 私たちの存在のすべてにかかわる、
 もっとも重大であると思われるはずの何かがです。
 
 それを人は、
 的外れだとか、常識がないとか、
 移り変わる時代の中で、異なる時代のものと混同しているとか、
 間違っている、聞くにたえないと言います。
 
 しかし、
 人間の生において、出発点であり、根拠であり、基礎であり、
 人間の営みの土台となるもの、
 私たち人間は、世界は、
 私たちを超えた力によって支配され、
 その手中に握られているということです。
 人間の知恵や力で左右されるものではありません。
 
 私たちは人間は、ひとりで生きているのではありませんし、
 社会を構成する歯車のひとつです。
 
 その世界を、さらにその外側から眺めてみれば、
 私たち人間を造られた、
 いや人間だけでなく天地万物を創造された存在があるということです。
 
 キリスト教を考えるうえで、
 私たち人間を、
 創造主なる神の被造物として考えることが基本であるということです。
 すべては、そこから始まるのです。
 すべての人間は、創造主なる存在によって造られた作品だということは、
 被造物であるところ人間は、
 目的をもって造られた存在であるということなのです。
 
 そして、それを知ること、つまり・・・。
 私たちの人生が「自分を超えた力」によって支えられているということなのです。
 
 しかし、私たちの日本では、
 まったくと言っていいほど、そのような考え方はしません。
 それどころか否定的ですらあります。
 
 日常の生活を送っていても、
 私たちの意識の中には、創造主なる方の存在など片隅にもありません。
 私たちにとって、それほどまでに感じ取れない希薄な存在なのです。
 忘れ去っていると言っていいでしょう。
 
 キリスト教にかかわることでなくても、
 人間関係や心の問題であったり、
 環境や社会問題であったり、
 私たち人間の問題を考えるとき、
 私たちは、「人間を超えた存在」によって支えられ、
 支配されているという、自分をこえた力に心が向くとき。
 私たちが立つべき、たしかな位置を知ることになります。
 
 ・・私たちの存在には、目的と意味とがある・・というように考えれば、
 ずいぶんと思考の方向が変わってくると思います。
 心の動きや意識のありかたが変わってくるのです。
 
 もっと、冷静にものごとを考えることができるかもしれません。
 
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 独り子を信じる者が一人も滅びないで、
 永遠の命を得るためである。
 神が御子を世に遣わされたのは、
 世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
 御子を信じる者は裁かれない。
 信じない者は既に裁かれている。
 神の独り子の名を信じていないからである。
 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。
 それが、もう裁きになっている。」
 (新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜19節・新共同訳聖書)
 
 この聖書の言葉は、
 私たちひとりひとりに関わりのある出来事として、
 イエス・キリストの生と死と葬りと復活の出来事を物語っています。
 
 社会の中で、
 ちいさな歯車のように生きている私たちひとりひとりは、
 実に大きな存在によって生かされているという、
 意味を持った人間なのです。
 
 大きな存在の下に存在しているということを忘れて、
 小さなことで振りまわされながら生きているのが、
 この日本の私たちの姿なのかもしれません。
 
 あなたは何者ですか・・・・と、問われたとき、
 何をしている人ですか、と、
 問われていると理解するのが日本人かもしれません。
 
 問題なのは、あなたの存在の理由なのです。
 ・・愛されるために生まれてきた・・のではありませんか。
 誰に・・・・。
 
 私たちの生には、山あり谷あり・・・。
 涙し、苦しみ、痛み・・・、
 嵐の中に放り込まれるときもあるでしょう。
 孤独を味わうこともあるでしょう。
 
 しかし、そのような中にあっても、
 キリストは、手をさしのべ、語りかけてくださっているのです。
 
 私たちは、なぜ、
 神の言葉に信頼することを忘れてしまっているのでしょうか。
 なぜ、キリストが十字架に死んだのか、
 知ろうとはしないのでしょうか・・・・・。
 北白川 スー
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on June 27, 2015.