キリストを通して神を見る



キリスト教の言う”福音 ”とは、
すなわち、良き知らせとは。

まぎれもなく、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
神のひとり子、イエス・キリストの十字架の死による贖いの業(あがないのわざ)という出来事です。

しかし、そうだとは知らされていないのが、この日本なのです。

常に、このイエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とが解き明かされなければ、
私たちは、キリストを、
そして、神を知ることができないのです。

「 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。
それは神の知恵にかなっています。
そこで神は、
宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、
お考えになったのです。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第1の手紙・1章21節・新共同訳聖書)

ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事を通して、
神そのものの存在と、
私たちにたいする、神の見方、考えかたを知ることができるのです。

創造主なる神の、究極の選択と態度の決定という・・・。

しかし、信じがたい内容のものですから、
私たちは簡単には信じることはできません。
クリスチャンは、とてもありえないことを、
なんともばかげたことを信じているなんて・・・。
クリスチャンでない人たちの共通した感想でしょうか。

つまり、自分の知恵によって神を知ることがないのです。
それが、”宣教の言葉の愚かさ ”・・・ということなのです。

イエス・キリストは、創造主なる神のひとり子だということを、
そのイエスが、すべての人間の罪をその身に負い十字架に死ぬことによって、
すべての人たちの罪の代価を命を代償として支払った・・・。
だれひとりの例外もなく、
私たちは、生まれながらに罪深い性質を帯びている・・・。
イエスの贖罪の出来事を、
これらの出来事を信じることこそ信仰告白ということになります。

さらにこの信仰告白こそが、
その人の人生を終始支えることになるのです。
人生を支えるだけではなく、
経済や健康や教育などに大きな影響力を持つものになるのです。


北白川 スー

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Wrote up on May 14, 2013.