福音という言葉



”福音 ”という言葉を、
日本人は、イエス・キリストの十字架の出来事とは関係のない、
なにか別物のように、個人的なものとして使っています。
”自分にとっての福音 ”だと・・・。
経済や人間関係などの、
容易には逃れられない苦しい立場から抜け出すための方法だと。

福音を、
イエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とを考えずに捕えたとしたら、
福音は、キリストによって人類が救われるという神の啓示でなくなってしまうのです。

神の啓示を信仰によって認識すること、
神の啓示を与えられ、受け取り、承認して受け入れること。
それがキリスト教の信仰なのです。

現代の私たちは、
ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の出来事の現場に立ち会ったわけではありません。
しかし、その場に居合わせた証人たちから聞くことはできます。
聖書・バイブルの中に生きている預言者やイエスの弟子たち、
使徒たちの言葉から聞くことはできます。

キリスト教の教会がこの世界に建っているのは、
教会は、神の啓示の中にその基礎を持っているからなのです。

神の啓示を見た人たちの証しがあればこそ、
現代に生きる私たちは、
神の啓示を信仰によって認識することができるのです。

そうでなければ福音は福音でなくなってしまうのです。
神の啓示に立たない福音があるとすれば、
それは福音ではありません。

クリスチャンがクリスチャンとして立つことができるのは、
神の啓示があればこそなのです。

この世界に、この社会に、
教会やクリスチャンが存在している前提がキリストの福音なのです。

「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、
この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、
御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」

(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・1章4節・新共同訳聖書)

しかし現実は、すべての教会が、またクリスチャンが福音に、
神の啓示に立っているとは限りません。

「ほかの福音といっても、
もう一つ別に福音があるのではありません。
あなたがたをかき乱す者たちがいて、
キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。」

(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・1章7節・新改訳聖書)

私たちに向けて説明された福音の内容が、
正確なものなのか、そうでないのかは、
聖書・バイブルを深く読み込まなければ分からないかもしれません。


北白川 スー

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Wrote up on January 31, 2014.